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シニアに学ぶ『退職後の輝き方』第18回 松井 謙二氏『関心は地方創生と多様性 』
この記事は、2012年~2017年にかけて当委員会で連載されたインタビュー企画である「シニアに学ぶ『退職後の輝き方』」を再掲載するものです。インタビュー対象者のご所属等については、掲載当時の肩書のままになっていますので、ご留意ください。
九建設計株式会社福岡支店技師長1947年生まれ。熊本県出身。1969 年、株式会社日本技術開発入社。1976 年、株式会社建設技術研究所に転職。2001 年、九建設計株式会社に転職。土木研究所招聘研究員。土木学会技術推進機構 ISO対応特別委員会委員兼幹事。
インタビュー日: 2015 年 11 月 5 日
聞 き 手 : 山崎廉予、山登武志、三嶋信広
再掲載に当たって(委員会より)
人生の色々な年代において、転職や海外留学の選択をされ、インタビュー当時は東京を離れスローライフを実践されていました。それぞれのステージにおいて社会貢献を意識した様々な活動を展開されています。
「いつも素人でいたい」「社会貢献にも多様性があってもいいと思います」という松井さんの言葉からも、物事に固執しない柔軟な考え方がうかがえます。この考え方こそが、それまでの生活からジャンプして新たな環境に飛び込む原動力であり、後輩に道を譲ることを考えつつもご自身の新たな社会貢献のあり方を創りだしたのでしょう。
経験が重視される土木業界において、全く違うアプローチで活躍されている。いつまでも輝く秘訣の一つだと改めて思いました。
2024.6.20 Tuffy
トンネル設計と海外留学
仕事の経歴を教えて下さい
株式会社日本技術開発、株式会社建設技術研究所では主に、地盤基礎・トンネルに係る設計を行っていました。1年間の海外留学から帰国後、九州に戻り、トンネル分野に強い地場コンサルタントである九建設計株式会社に入社しました。現在は、トンネルに係る設計及び研究業務(アセットマネジメント)を行っています。土木研究所の招聘研究員としても活動しており、橋梁 のリスクベース・メンテナンス 技術の開発に携わっています。また、土木学会ISO対応特別委員会に所属し、ISO などの国際 規格の動向の調査に従事しています。現在は本社や東京への出張の他は、どの業務もメールで のやり取りですませ、自宅(熊本 県阿蘇郡)にいながらにして、仕事ができています。
転機となったのはいつですか?
海外留学です。加齢とともに、後輩に道を譲る時期が来たと感じていた 50 代の頃、今後どのように社会貢献していくかを考えていました。1996年の 49歳の時に参加した EUROCODE7(欧州統一設計基準の中で、土木分野に関係するもの)セミナーのつてをたどって、留学することにしました。当時、EUROCODE が正式欧州基準になり、さらにISOに提案さ れることが予定されていたため、先見的に学びたいと思ったから です。周りの反発は大きかったですが、「捨てる神があれば、きっと拾う神もある」という女房の言葉や、 「青雲の志をもっている」と褒めてくださる方々に励まされ、無給で旅立ちました。2000 年の 6 月~8 月までポルトガル土木研究所(リスボン)、10 月~翌年5 月まで Trinity College(ダブリン)の土木工学部に所属しました。 結果として、海外に行ったことは将来的にも画期的な出来事になりました。外から日本をみることができましたし、自分の意見を主張する自由さを知りました。日本では言えない「I don’t think so.」をたくさん言いました。
思い出深いエピソードは?
30 代の頃の本四・鷲羽山トンネルアンカープロジェクトは、のちの 仕事の一つになるトンネル設計の嚆矢でした。当時は、従来の矢板工法から NATM工法へ転換する頃で、トンネル分野での最先端企業から色々教えていただきました。 40 代の頃、トンネル技術向上を目的として、九州アジア地区トンネル研究会を立ち上げました。友達を作ることが得意という長所を生かし、様々な専門分野の方を誘って発足しました。会長としてメンバーと共に上海の同済大学を訪問したことが思い出深いです。本会は今でも続いています。
他国の人と渡り合う力
身に付けた方が良いスキルは?
他国との委員会の席などで我が国の主張を生かすためには、英会話力とディベート術は欠かせないと思います。私自身、もっと早い時期から勉強しておくべきだったと反省しています。日本では、理詰めで話す人は嫌われますが、海外では、お互いの理解を深めるという意味で尊重されます。
インターネットでもある程度の情報は得られますが、細かいところになるとファーストネームで呼び合う海外の友人からの直接的な情報が不可欠です。持つべきものは、国内外問わず、親しい友人だといえます。
また、日本の文化・歴史についての知識は、他国の人との会話の話題として持っているとよいと思います。記憶に残っているのは、日本の緯度・経度を答えきれなかったことです。また、他国の人同士だけで村上春樹の話をしていることもありました。
最も重要なのは、自分の意見を持つことです。オブラートに包まず単刀直入に言えば、英語が拙くても伝わります。海外の人は聞いてくれる姿勢を持っていますから。
今の土木界をどう思いますか?
内向きだと思います。日本の道路橋示方書は優秀ですが、世界的にはEUROCODE がパワフルなライバルです。海外(特に欧州)の『基準・規格の国際展開は自国企業の国際競争力向上のために必須』という発想は、日本ではほとんど聞きません。これからは国内の市場が縮小し東南アジアなどへ
の海外展開を図らねばならない時期です。発想の転換が必要ではないでしょうか。土木学会は、こういった問題や震災の危険性などの情報を、専門家だけではなく、一般市民にも長期的に発信していくべきだと思います。
また、『東京一極集中』も内向きの結果だと思います。これからの国際展開の必要性を考えれば東京にこだわる必要なしと思いますし、首都直下地震の可能性などを考えれば、一極集中の弊害は明らかです。光ネットを利用した地方へのオフィスの招聘(地方でのテレワーク展開)というやり方もあると思います。私は田舎でのスローライフを勧めます。東京と地方のデュアルモードライフを選択肢の一つにされてはいかがでしょうか。
自分なりの社会貢献
これからの目標を教えて下さい。
もともとひとつのことを突き詰めるよりも、「いつも素人でいたい」という気持ちで仕事をしてきました。今は、第 2 のライフワークとして通訳案内士を考えており、仕事の合間に資格取得勉強をしています。これからは観光立国日本の時代です。海外のお客さんに日本の良さをアピールする仕事に就き、いつまでも社会貢献をしていきたいと考えています。また、海外からのお客さんとの交流から思いがけない新たな仕事のニーズが生まれてくるかもしれません。
私は、社会に貢献できる限りいつまでも働いていたいと思いますが、『社会貢献』にも多様性があってもいいと思います。会社への恩返しだけでなく、土木以外の仕事や、家族への貢献など、どのような形でもいいと思います。ただし、仕事をいつまでも続けるためには、自分の価値を客観的に知っておく必要があります。自分と周りの評価のミスマッチほど不幸なことはありません。
次世代のシビルエンジニアへ
今まで築いた人脈を大事にしてほしいと思います。会社を辞めたと同時に友人も離れていったという会社ありきの繋がりではなく、肩書なしでも助けてくれる人脈を持つことが大事だと思います。
また、40 代、50 代のうちに、80代くらいのことを考えていてほしいと思います。夢や希望を踏まえた長期の目標を立てていれば、それに向かって真っすぐ進むことができます。もっとも足元の小石に躓かないようにしないといけませんが。
忙しかったそれまでの殻を捨て、地方から社会貢献をしつつ、孫たちの成長を見守りながら、いつかは訪れる旅立ちの準備をすることが一番の幸せである、と私は思います。
(文責:山崎廉予)
委員会からのメッセージ
松井謙二さんとは大昔会社でご一緒した。その後会社が違い、永らく仕事でもご一緒していないが、不思議な存在感で、今でもボチボチお付き合いしている。常に感じるのは「よく考え、よく行動している」ということである。早く会社の一線を退かれ、阿蘇山の南麓に暮らしながら、国際構造基準などの面で活躍して、その存在感を失わない。東京で右往左往している人
間から見れば、実に羨ましい不思議な存在である。
インタビューを終えて(聞き手から)
松井さんは、53 才で人生初の海外留学に挑戦された後、専門分野に拘ることなく、ご本人曰く「ニッチ」な分野に目を向けながら幅広くご活躍されています。インタビューでは自由な発想で自らの道を切り拓き、今後は土木とは違う新しい道に挑戦しようと楽しそうに語る姿が印象的でした。
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