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障害は個性なのか。

最近「障害は個性」という言葉について、
当事者から、支援者から、
実際に障害と関わる人たちが意見を出している姿を見て、
自分なりの考えを、僕も発信したいと思います。

障害は個性なのか。
僕は個性ではないと思います。
そもそも障害とは、”社会との壁”と認識しているので、
個性ではなく、ただ、一人一人異なるものだと思っています。

個性という言葉は便利で、良いイメージを与えているかもしれませんが、
深く考えることを遮られているとも思います。
実際、私が働く施設でも、職員や利用者本人も「障害は個性」と
明るく言っていますが、ちゃんと考えられてはいないと感じます。
言いくるめられている気がして、寒気も感じます。

少しだけ具体的な話をします。

知的障害や神経発達症の方々は、色々な障害を持っていらっしゃいます。
①自己肯定感が低く、人に優しくしたり、手伝いをしたりする力はあるんだけど、逆に困らせたらどうしようと不安になり上手くできない方。
②不安なときに近くの対象を掴むことがあるけど、対象物が誰かの大切な物であったり、対象者が電話に出たりすると手を放してくれるような、非常に空気を読むことができる方。

ほんの一例だけど、上記の方が社会に出たとき、

①自己肯定感が低いことを「個性」と捉えられると、何もできなくて大丈夫と思されてしまい、その方は優しくすることを諦めてしまうかもしれません。
②人や物を掴んでも「個性」だから仕方ないとされたら、空気を読めるストレングスを誰も見てくれなくなるかもしれません。

個性で許される、個性で簡単に見過ごされる社会であるなら、
支援者として正直、利用者を社会に出すのが怖いです。
近くの支援者だけが対象の障害者を理解している状況では、結局社会の制限(壁)は取り払えないです。

支援者の実力不足の言い訳に聞こえるかもしれないけど、
僕は社会がもっと障害の理解を深める必要があると思います。
障害は個性で片づけられない。
障害は理解がなければ枷になります
個性という言葉で理解を拒むことは、
障害を障害のままにすると思います。

僕が個人的に思い描く社会は、
障害者とオープンでフラットな会話を地域の誰もができること。

「この方は○○が得意なの?ならこれを手伝ってもらおうかな!」
「○○すると助かるなら私がやってあげるね!」
「その補装具かっこいいね!どこのやつなの~?」

もちろん、その人を最も理解しているのは家族や支援者であるので、
理解者の意見なくしてインクルージョンは難しいと思いますが、
それを理解しているだけでも社会はすこし明るくなると思います。

私は、障害者福祉の世界にも見えない壁を感じます。
スポーツのそれとは違って、内側から壁を壊しても外側の人は入ってきてくれない環境にあると感じてます。
外側が知識を得ようとしない限り、内側には入れない仕組みなのかもしれません。

皆さん。
「障害は個性」という言葉は聞き飽きてきたなと感じてますよね。
見えない壁は少し前に比べたら低くなってます。
知識を得て、内側に入って、社会との大きな壁を壊していきませんか。

まだまだ障害者福祉の歴史は浅いので、今から勉強すればきっと、一流の支援者を目指せますよ。

こんなに人間観察が活きる仕事もないかと思います。
(日本人は向いているのでは…)

興味が出てきたら、すぐ行動していただけると嬉しいです。

では。

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