生活年齢ではなく発達年齢を見る
最近、プライベートにおいて、子どもと接する機会を増やして感じることがあります。
「○年生になったんだから、××くらいはできないと」
という表現は、非常に乱暴な発言なんだとあらためて思うのです。
福祉を学び、人それぞれ違うし、なんらかの課題を抱える可能性があるわけで、「○年生になったから(生活年齢)」を持ち出して、声かけをする事は支援を放棄して、情報収集からアセスメントを放棄する事と同値なんだなと思ったのです。
「○年生なんだから」と思う気持ちは否定はしなくてよくて、それを支援対象者に聞かせるのではなく、「それを起点にしてアセスメントをする」事が大切なんだと。
○年生なのに出来ないという事は、何か問題があるのか、障害があるのか?環境調整が必要なのか?
そのように、生活年齢は自らのアセスメントをするための気づきに使われるものであり、支援対象者にレッテルを貼るためのものではないということを感じたのでした。
生活年齢と今できる能力を有する発達年齢との「差」を見つめ、発達の促進か環境調整するのかを支援者として判断して、介入していく事が大切なんだなぁと。