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#70:集中力が続かないことに端を発する成功体験

僕は集中力を継続できない

僕には集中力がない。というより、集中力を持続させることができない。落ち着きもない。

子どもの頃からそうだった。世の小学校には椅子をギッタンバッタン揺らす子どもが一定数いるが、僕は典型的なそれで、何かと椅子を揺らしていたし、椅子を揺らす以外は周りにちょっかいを出していた。

公文式に通っていた僕にとって小学校の勉強は難しくはなく、先生が黒板に何かを書いている途中に答えが分かり、そのまま声を張り上げて答えを言ってしまい怒られることも多々だった。集中はしないし、行動は衝動的だった。

ちなみに公文式でも勉強には全く集中できず、ずっと他の生徒と喋っていて、その日の問題を解き終えて帰るまで何時間もかかることが多かった。

社会人になった今も特段改善はしていない。仕事に黙々と取り組むことは僕にとっては不可能で、ガガガーっと作業に集中した後はしばらくの間何もできないぐらいに集中が途切れる。集中が途切れるとブラブラ歩いてみたり突っ伏したりして回復を待つしかない。

公認会計士資格を取る前は数年お硬い会社でサラリーマンをしたが、一日中座ることを要求され、地獄だった。今の職場環境には感謝しないといけない。

集中力の無いエピソードをあげるときりが無い。

そんなこんなで世間的にはまあまあ悪く思われる集中力の無さではあるが、東大入試や公認会計士試験においては割と得したなと思うところがある。それについて書いていこうと思う。

東大入試と公認会計士試験に共通する特徴

東大入試と公認会計士試験には大きな共通事項がある。それは「科目数が多いこと」だ。

私立大学であれば英語、世界史、小論文だけで挑めるところ、東大を受けるには数学、古文、漢文、社会2科目、さらに(当時の)センター試験のために社会もう1科目、理科も求められた。

公認会計士試験も科目数が多い。似た資格である税理士試験は1科目ずつ受けることが可能だが、公認会計士試験は科目合格の制度はあるが、原則的には一度に全科目の受験が求められる。

科目数が多いということは、それだけ日々多くの科目に気を払っていかなければならない。意外に思われるかもしれないが、これが集中力の無い僕にはうってつけだった。

集中力の無さが生きる

集中力がない大学受験生の僕は、1科目の勉強を15-20分程度しかすることができなかった。15-20分程度勉強すると、飽きてしまって続けられなくなる。続けられなくなる僕が勉強し続けるためには、科目を変えるしかなかった。

友だちと勉強していると、目の前でやたらと科目を変えるので「お前と勉強すると集中できない」と言われたことを覚えている。恐ろしいことに、集中力の無い人間の行動は他者の集中も削いでしまう。

公認会計士試験もそうだった。財務会計論の勉強をしばらくして飽きると次は計算問題、それに飽きるとまた他の科目の理論、といったように様々な科目を1日に何度も行ったり来たりしていた。

東大も公認会計士試験も科目数の多い試験であったが、集中力がないおかげで日々網羅的に勉強でき、明らかに弱点といえる場所を減らしていくことができた。荷物が多くなる点だけが難点だった。

東大入試、公認会計士試験における重要性

科目数の多い試験を受けるにあたって重要なことは、「満遍なくある程度の理解をすること」だ。得意科目と苦手科目があるよりも、全てそれなり、のほうが致命的なミスをする可能性が低く有利だ。

僕は数学が突出して得意で、それ以外はまあまあ、だったので数学がなく科目数の少ない私立大学は落ちてしまった。

科目数の多いセンター試験、東大入試、公認会計士試験ではそれなりの成績/合格を残すことができ、子どもの頃たくさん怒られていた集中力の無さは、思わぬ結果で実績に繋がることになった。

まとめ

「集中力がない」ことは世間的には概ね悪者という共通認識がある。しかし、そもそも集中力を維持できない本人に「集中しなさい」と言っても意味がないのも当たり前で、言われた本人も苦しいだけだ。

「集中力がない」こともある意味ではその本人の特性であって、活かす方向で考えると実は色んな方向で能力が開花する可能性がある。マルチタスクやマネジメントが得意になる可能性があるし、思わぬ発見をすることも考えられる。

僕は子どもの頃は集中力の無さで怒られてばかりだったけれど、今の歳になって、それはそれで良いこともたくさんあるなと思えるようになった。

集中力の続かなさで悩む人に届けばよいなと思う。

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