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軍歴証明書を取り寄せてみる(1)

2021年8月10日 軍歴証明書とは

 8月。時節柄、様々なメディアで「 #戦争 」について取り上げられる。
 そんな中、自分の母方の祖父は戦時中どのように過ごしていたのであろうか……と、ふと頭をよぎった。


祖父のプロフィール

西暦1909年 明治42年8月31日東京生まれ
慶應義塾大学卒
西暦1995年 平成7年3月22日85歳逝去
 西暦1941年、昭和16年〜の太平洋戦争時に軍属していたらしい。凄惨な戦争の記憶は決して忘れる事は出来ないようであったが、それを口にする事をひどく嫌っていた。

自分が小学三年生の時に、国語の教科書の「ちいちゃんのかげおくり」から「戦争教育」があり、身近な人から戦争体験などを聞いてみよう…という課題が出された。

ちいちゃんのかげおくりは、あまんきみこによる絵本・童話作品。上野紀子が挿絵を担当。出版社はあかね書房。太平洋戦争の悲惨さを伝える物語として著名であり、それを児童にも伝えるため、小学校の国語の教科書にも掲載された。また、合唱曲なども作られるほどである。1982年に発行、1983年に小学館児童出版文化賞を受賞した。

ちいちゃんのかげおくり - Wikipedia

 祖父は同級生らのおじいちゃんより比較的高齢であったので、子どもの頃の戦争体験ではなく、実際に戦地へ赴いたであろう話が聞ける……と思ったが、自分が高校生の頃に他界する最期まで戦争について語る事はなかった。

軍歴証明書とは

 ある日、なにかのSNSで、戦争当時「旧海軍・陸軍軍人や軍属または従軍文官」であった者は「 #軍歴証明書  」という資料が国や自治体で保管されており、近しい親族は国や各自治体からそれを取り寄せる事ができる…という情報を見かけた。これも何かの縁または機会だと、自ら調べる事にした。

軍歴証明書(ぐんれきしょうめいしょ)とは、かつて戦争に従軍した軍人並びに軍属、従軍文官が招集から除隊までの任免、配属、賞罰、傷病、その他進級や昇給等の処遇について記録した文書のことである。

軍歴証明書 - Wikipedia

「陸軍」「海軍」「文官」所属先とは

 まず、大雑把に「軍人」といっても、「旧海軍軍人」「旧陸軍軍人」「旧陸軍軍属文官・従軍文官」という分類がある。スタートとしては、この分類を定かにする事であった。国や自治体への問い合わせ先が変わるからである。

旧海軍…厚生労働省
旧陸軍軍属・従属文官…厚生労働省
旧陸軍軍人…終戦時の本籍地の社会福祉担当部署

▼申請に関するリンク
※厚生労働省…旧陸海軍から引き継がれた資料の写し等の申請について
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000093051.html

旧陸海軍から引き継がれた資料の写し等の申請について|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

 祖父はどこに所属していたのか?
 祖父が他界したあと、その遺品は、訳あって親戚に全て処分されてしまった。中には軍服そのものや、軍服を着た写真も多く残されてあった。
 処分される直前に当時のガラケーで隠れて撮ったものが二枚ほど残っていた。ガラケーという事もあり、画質はかなり悪い。自分が詳しい者ならば、その古い写真から何かしらの情報を引き出す事も出来たかもしれないが、何の知識も持ち合わせていなかった。

右 祖父
左から三人目 祖父

 時期も場所も、戦時中なのかすらもわからない写真。祖父や軍属仲間たちは笑顔でそこに写っていた。

 この二枚の写真以外に残す事は出来なかったが、祖父が多くの軍人の中、雄々しい姿で騎馬している大判の写真もあった。
 そこで「騎馬」するのは「旧陸軍」なのではないか?という浅い知識に基づいて、検索して調べてみたところ、やはり旧陸軍には「騎兵隊」が存在していた。もちろんその写真の折に騎馬していただけで、騎兵隊である確信はどこにもない上に、第二次世界大戦に入る頃には「騎兵」ではなく火器を扱う「機甲」など形を変えていたが、まずは「旧陸軍」であったという仮定で調べ始めてみる事にした。

昭和9年を境に近代化に対応するため機械化が導入され、日中戦争(支那事変)後は、馬術学生の募集は停止され、機甲教育機関へと移行。騎兵学校内に後の陸軍戦車学校の前身となる戦車第2連隊の練習部(教育・研究担当)と下士官候補者隊が組織され、1936年(昭和11年)8月には騎兵学校内に陸軍戦車学校の名称で戦車教育を主とする教育機関が設置された(同年12月1日に千葉県千葉市黒砂町に移転している)。
そして、昭和16年には機甲本部が創設され実質的に騎兵は無くなり、「陸軍騎兵学校」は正式に「陸軍軽機甲学校」に改められた。

陸軍騎兵学校 - Wikipedia

 祖父は……
 ・旧陸軍所属ではなかろうか
 ・その場合、問い合わせ先は終戦時の本籍地にある「社会福祉担当部署」となる

 ここで「旧陸軍」と仮定してスタートしたものの、次なる試練として、祖父の「終戦時の本籍地」を探す事だが、皆目検討がつかなかった。
 東京生まれで、慶應義塾大学で学んでいた事から、恐らくは「東京都」のいずれかの市区町村であろうと、これもまた仮定する。

▼申請に関するリンク
※東京都福祉保健局…旧陸軍軍人等の軍歴について
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/seikatsu/senso/gunrekishomei.html

旧陸軍軍人等の軍歴について 東京都福祉局 (tokyo.lg.jp)

 次なる試練は「祖父の昭和20年8月15日終戦時における本籍地探し」である。

▼軍歴証明書の取り寄せに必要な情報
・所属軍(旧海軍、旧陸軍文官、旧陸軍)の把握
・昭和20年8月15日終戦時の本籍地
・国や自治体にもよるが申請者が該当者と近しい親等(3親等など)である事

本記事のヘッダー画像
解説 空襲後の三田山上(右から塾監局、現第一校舎、焼け落ちた大講堂)
日付 1945年
原典 『慶應義塾 歴史散歩 キャンパス編』(慶應義塾大学出版会、2017年)
作者 不明

空襲後の三田山上(右から塾監局、現第一校舎、焼け落ちた大講堂) - 慶應義塾大学 - Wikipedia

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