変わりながら、守っていく
別れに弱い。めっぽう弱い。書き初めなのになんの話をする気なのだろう。でも本当に弱い。
思い返すと、最後に涙を流したのは3年前。令和を目前に祖母が亡くなり、出棺前の別れ花を添えているときだった。
祖母は晩年アルツハイマーになり、息子である父の顔も忘れてしまっていた。家族の存在を確かめられないのは辛かったはずだが、そんなのは思い違いだと思わせるほどに、皆に見送られる祖母の表情は安らかだった。
日本酒を教えてくれた伯父の訃報を聞いたときも、学生時代お世話になった塾の恩師の最期も、長年一緒に暮らした猫が虹の橋を渡ったときも泣いた。
永遠の別れに限らない。初めての異動を迎え、新人時代から過ごしたオフィスに向かう最終日の朝、まだ人影もない道を歩いていると静かに涙が浮かんできた。走馬灯のようにとはよく言ったものだと、ビル街の向こうの低い空から差し込む朝日を見ながら思った。
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過去のnoteを見返していたら、変化について書いたものがいくつもあった。変化に対して敏感なのだと思う。特に、失うことに。
変化を望んでいないわけじゃない。いつも足りないものばかり数えているし、手に入れたいものはたくさんある。でも、こだわりだけあるくせにキャパシティが大きくないので、何かを得れば、代わりに手元から何かが零れるような気がして臆してしまう。
佇んでいると、周囲の変化や自らが変化の機会を逸することに目がいきがちだ。変わるための意志と等しく、変わらないための意志だってあるのに。
草木が風に煽られないよう張りめぐらす根は、誰にも気付かれず、静かにその先を地中へ太く深く伸ばしていく。それもまた変化であることを忘れている。飛躍や、誰かの目に留まることだけが変化じゃない。
目まぐるしく景色が変わる暮らしの中で、贅沢になっていたのかもしれない。景色が入れ替わるような新しさがなければ変化ではないと、ハードルを上げている自分がいた。見上げたハードルの高さを前にただ本当に立ち尽くしているだけでは、そのうち大切なものを失ってしまう。
数えていないだけで、たくさんのものを昨年に置いてきた。異動で離れた仕事仲間、家のリフォームに向け手放した思い出の家財、禍の生活で移り変わってきた習慣や人との関係性。今振り返るだけでも思い当たるものがいくつもあり、どれもが紛れもない変化だったが、不思議と喪失感はなかった。
変わることで守れたものがあるのだろう。変わらないために変わったのだともいえる。ちゃんと言葉にするにはもう少し時間がかかりそうだけれど、大切なものはきっと、手元に残っている。
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ここに置く言葉たちも、少しずつ変わってきた。
来月、noteを始めて2年が経つ。書きたい内容から言葉の選び方ひとつに至るまで、過去の自分が読んだら二度見するぐらいには変わった気がする。
ここで出会ったたくさんの方々の言葉に触れ、言葉を交わし、重ねるうち、自分が思っていた以上の刺激を受けてきたのだと思う。それはときに自分に背伸びをさせたり、それが叶わず俯いてしまったりと、大好きな文章と上手く付き合えないきっかけにもなった。
それでも書き続けてこれたのは、言葉への向き合い方も含めて、自分ですら気付かないような変化をしてきたからだと思っている。
言葉を通じて誰かと心で繋がりたいから書いている。そのために、憧れは憧れのままにしておいたり、長く信じていた考え方を見直したりもした。書きたいことを書く場所だったはずなのに、書けることだけを書き、ときには書かなくていいようなことも書いた。しっちゃかめっちゃかだった。
でも、だからこそ書き続けられていると思いたい。大それた変化は求めず、自分の言葉だからこそ届くものがあると信じ、ただ流れに身を委ねるようにして言葉へ落としていく。自分の考えを形にするときも、誰かの文章に心動かされて想いを伝えるときも。それが、ここで教えてもらえた大好きな「書くこと」とお別れしない唯一の方法かもしれない。
いつかこのnoteを振り返るとき、また変わった自分に気付くのだと思う。でも、そのときもまだ書いているのなら十分だ。だってそれが一番守りたいものだから。
書き続ける意志はしなやかに。今年も想いを届けるため、人との繋がりを大切にするために、移ろいを楽しみながら言葉を紡いでいきたい。