失ったものを数えもせずに
新年度2日目は出社だった。在宅勤務が中心の生活もまる2年が経ち、予定が無ければ家族以外と話さない日は当たり前になった。それでも、出社をするといつも気持ちが前を向く。
時計の針が20時半を回った頃、ある後輩が別のメンバーに「〇〇さん、ハンバーガー食いたくないですか」と声を掛けた。二つ返事で飛んでくる「いいね」のひと言。「行くしかないな」と続くもう一人の声。最後にぼくも「薫さんもどうですか」と声を掛けられ、「行こうか」と答えた。帰り際だった隣の部署の後輩とエレベーターで乗り合わせ、「え、わたしも行っていいんですか」が合図になって揃った5人。夜のハンバーガー作戦が始まった。
前を歩く4人の背中を見つめる。全員、後輩だった。10年目にもなれば当然かと思いつつ、自分がもっと若かった頃、先輩と仕事帰りの居酒屋に向かっていたときの気持ちを思い出していた。
「奥さん、ご体調よくなったんですか」
お店に向かう途中、後輩の一人がそう声を掛けてきてくれた。彼女はぼくが今の部署に来たときからの同僚だから、もうだいぶ長く一緒に仕事をしていることになる。とはいっても、ここ数年は業務内容が違うので仕事ではたまに、仕事以外となると話す機会がほとんどなかった。
そんな彼女から掛けられた、やさしいひと言。前に妻が腰を悪くしたのを覚えていて、心配してくれたようだった。仕事中に顔を合わせることはあっても、切り出しづらい話題だ。きっと今日あの瞬間でなければ、生まれなかった会話だったと思う。
会社の近くにあるハンバーガーショップには、まだお客さんの姿がちらほら残っていた。何年ぶりだろう。お弁当生活が始まって以来足を運んだこともなければ、在宅勤務ばかりでビルに立ち寄ることすらなかった。
勢いよくオーダーする後輩の真似をして、チェダーチーズのハンバーガーセットを注文した。ハンバーグのサイズを大きめにしなかっただけ大人になった。でも、運ばれてきたハンバーガーは二度見するほど巨大だった。
「薫さんて、〇〇高なんですか」
なぜだか覚えていないが、ぼくの出身高校の話になった。そうだよと答えると「あ、じゃあ〇〇さん知ってますか。ぼくの大学の先輩なんです」となり、知っていたので話が盛り上がった。ぼくが高3のときのクラスメイトだった。10年ぶりくらいに思い出した名前。よく思い出せたなと思った。
「え、わたしの夫もその高校出身なんです!」
別の部署の後輩が繋いだ。いやそんなことあるわけと思ったけれど、あった。ちょうど3個違いだから被ってはいなかったが、偶然の連鎖がすぎて面白かった。夫さんと実家の場所まで近いのだから笑うしかなかった。
「数字の結束は強いですよ!」
話の流れ変わって、ハンバーガーに勧誘してくれた後輩二人が叫んだ。彼らは部内の色々な数字の取りまとめ業務をしている。ときにはフロアの電気が消えるような遅くまで。数字が苦手なぼくからすると神様みたいな人たちだ。
どこの会社も、数字は上からプレッシャーがかかるもの。そんな大変な思いで仕事をしている彼らが、部内で同じ取りまとめをしているメンバーは全員仲間なんだと真面目に、楽しそうに語っていた。二人の目は熱く、澄んでいた。
一人になった帰りの電車で、ぼくは指を折りながら数え始めていた。今日彼らから受け取ったものの数、いや、この2年間失っていたことにすら気付かなかったものの数を。
画面越しに会える世界は、希望を与えた。世界は狭くなりつつも、広がってもいるのだと実感した。正確にはまだ会えていないが、noteを始めていなければ会えない人がたくさんいた。奇跡の連続だった。
一方で、閉じこもってばかりの日々を過ごすうち、偶然は影を潜めていった。約束をしなければ、基本的に誰とも会うことはない。ディスプレイに映るのは、いつだって自分が見ようとした世界から浮かんできたものでしかなかった。以前noteでそれを偶然の喪失と書いたが、あのときのぼくは、失ったものをようやく認識し、在りし日への帰り道のスタートラインに立ったにすぎなかった。
雑談が減ったとか、飲みに行く機会が減ったとか、この2年間でよく聞くフレーズたち。減ったのは間違いない。だが、本当はもっと一つひとつ大切なものだったことを忘れてはいないだろうか。「雑談」も「飲み会」も、もしそこで相手と会って話していたなら、そんな一括りの言葉ではまとめられない時間がたくさんあったはずだ。
雑談や飲み会に限らない。在宅勤務ばかりで外の空気が澄んでいるのを忘れていたように、人と会い、言葉を交わして過ごす時間を十把一絡げに考える癖がついてしまったのかもしれない。人と会うというのは、もっと細やかな機微に溢れ、驚きに満ちた瞬間だった。誰かと会って話す時間の一粒ひと粒が、違う色に輝いていることを忘れてしまっていた。
失ったものを、ぼくは全然知らないことに気付いた。きちんと数えもせずただ失ったと思うだけで、知ったかぶりをしていた。ハンバーガーに誘ってくれた後輩たちにそれを気付かせてもらった。会えたからだ。とても、楽しい時間だった。
日々、情景を留めておくために文章を書いている。些細な心の機微の一つひとつを見つめるために言葉を紡いでいる。だったら失ったものもちゃんと数えられるだろう。いつかまた手にしたいのなら、数えなきゃいけない。そのために言葉はあるのだ。