4ヵ月前の世界と今と。
こんにちは。乳がん闘病中のまいです。
今日で、乳がん告知を受けてから4ヵ月。
4ヵ月かぁ~~~~。
もっと長いような気がする。
4ヵ月前、私の世界が一変した。
というより、世界の持つ意味が変わったのかも。
3月下旬。
自分の右胸に小さなしこりを見つけた時は、まさか乳がんだとは思わなかった。
3月31日、とんでもなく痛い思いをして検査をして、
4月7日、淡々と「悪性腫瘍です」と告知を受けた。
一人でその重みに耐えて、次の日のその次の日もたくさん検査を受けた。
そこから1ヵ月弱、手術の日が決まるまで、よく取り乱さないでいろんなことに対処してきたなぁと、我ながら感心する。
まるで仕事みたいに。
とにかく、何とかせなあかん。
このままじゃあかんから、どうにかせなあかん。
自分の身体のこと、自分でちゃんと決めなあかん。
あたしがやらんかったら、誰がやるん?
それはまるで、責任感のある仕事に対処するのと同じ。
目の前に対処することが立ちふさがってくれてる間は、それに向き合うことで精一杯やった。
対処した後のことなんて、考える余裕もなく。
来るべき日を決めて、その日を迎えて、あとは現実的な痛みに耐えるだけ。
できるだけ、先のことは考えんようにしてきた。
時々、ふっと、、、
もし、再発したら。
今度は転移が進んでいて、手術で対応できなかったら。
そのときは・・・
そこから先は考えたくない。
そんな、考えても意味のない恐怖が突然襲ってきたりする。
私の乳がんのタイプは大人しいやつで、再発の危険性もそんなに高くないし、ホルモン受容体があるからホルモン療法(女性ホルモンを止める薬を飲む)で対応できてる。
5年、薬と注射を併用して、そのさらに服薬だけを5年。
10年、大人しく薬を飲んでる間に、きちんと定期検診を受ける。
やるべきことは分かってるん。
そんなに難しいことじゃない。日常生活とも並行できる。
それでも。
4か月前、乳がんだという事実が私の今までの世界を完全に崩した。
身体も動かすし、食べ物にも気を遣ってるし、風邪も引かないし、この先も健康だって信じて疑っとらんかったのに。
信じてたもの、よりどころにしてたものがあっけなく崩れ去って、
そのあとは、
じゃあ何を信じればいいんだろう?
コロナ禍の今。
これまで当たり前だったことが当たり前でなくなった。
多くの人にとって、これまでの生き方を見直す契機になってる。
当たり前にできていたことの尊さ。
当たり前にやっていたことの無意味さ。
仕事もプライベートも、これまでと同じようにはいかない。
生き残るために転換を求められる場合もある。
今までの「当たり前」を捨てて、
「今」に対応することが必要とされている。
私の場合は、病気がそのきっかけを作った。
今までの生き方でいいのか。
私は本当は何をやりたいのか。
このタイミングで、それをもう一度見直すように言われているような。
今までは、大概のことは努力で何とかなると思ってたん。
頑張れば、いつか報われるって。
病気の前では、個人の努力なんて何の意味も持たない。
お医者さんに言われるがままに勧められる治療を選択するだけ。
無力。
自分の力ではどうにもならない。
そう。
病気って、そういうものなんですよ。
頑張りようが、ないん(笑)
病気になった今。
私が私の為にできることがあるとすれば、
どうすれば自分らしく生きられるのか。
それにちゃんと向き合ってあげることだと。
今朝の讀賣新聞朝刊で、ALS嘱託殺人に関連する記事が掲載されとったん。
自分ではどうにもならない出来事にぶち当たった時。
生きる力を与えてくれるのは何か。
自身もALSを患う船後議員が、同じ難病を抱える患者さんの役に立つことに使命を感じたと話している。
(毎日新聞:7月23日掲載記事)←読売新聞の記事は掲載できなかったので参考までに船後議員のコメントが掲載されとる記事をリンク貼っておきます。
「死にたい」ではなく、「生きたい」と思うためには。
生きていく支えが必要だと。
人は、誰かの役に立っていると思うことで、生きる力を得ることができる。
人のお荷物になるんじゃなくて、私も社会の役に立っているのだと、本当は誰もがそう思いたいはず。
必要とされたい。
お互いを必要とし合う世界。
誰かの助けになるためには。
私も助けが必要だって言うこと。
私が、この世界のためにできることは何があるんだろう。
私が、私自身のためにできることは何があるんだろう。
4か月前の今日から。
少しずつ、世界の意味が変わってきている。
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