Astrid Sonne『Great Doubt』 ディスクレビュー
デンマーク出身で現在はロンドンを拠点とする作曲家、ヴィオラ奏者であるAstrid Sonneの4thアルバム。
これまでアンビエント~エレクトロニカの領域で活躍してきた彼女にとって本作は大きな転換点になったアルバムだといえる。これまでの彼女の作品がどのようなものだったのかについては2018年にベルリンで行われたライブパフォーマンスを収録した『Ephemeral Camera Feed』や2021年リリースの前作『outside of your lifetime』を聴いてもらえばわかるだろう。ドローンを主体としたビートレスなアンビエントや、シーケンシャルなシンセサイザーを用いたエレクトロニカが、これまでの彼女のシグネチャーだった。
一方、『Great Doubt』はそこにボーカルが加わったことで、アンビエントR&Bやインディーフォークの叙情性をもったアルバムに仕上がっている。
本作におけるアプローチの変化はボーカルだけではなくサウンドの面にも表れている。例えば「Do you wanna」や「Boost」では力強く打ち付けるドラムが印象的だが、前作『outside of your lifetime』では全くドラムが用いられていなかった。ドローンサウンドについても、前作における「Moderate」のような分厚く空間を覆い尽くすようなものは本作では見られなくなっている。
もちろんこれまでの作品と共通する部分も多くある。例えば前作の「My Attitude My Holoscope」「Infirmity of Temper」などの楽曲では、シンセサイザーがリズムの代わりとなって用いていた。その手法は本作の「Staying here」にも受け継がれている。
しかし、この作品の核となる部分は「Tb Honest」や「Withdrawal」といった楽曲での試みをよりミニマルに発展させてできあがったものだと考えてよいだろう。
このミニマルさというのはたんに音の数が少ない、レイヤーの数が少ないというだけではない。この作品からは一切の過剰さが排除されているのだ。継ぎ接ぎになったリズムも、アブストラクトなコラージュも、ドリーミーな音像も、インダストリアルなノイズも『Great Doubt』のなかには存在しない。
そういった過剰さは、閉塞感を生み出し、緊迫感を掻き立て、ときには陰鬱な世界観すら構築する。それは切実な苦しみを表現するための手段であると同時に、緊迫からの解放はある種の快楽をもたらす存在でもある。しかしそれとは違った、ほどよい緊張感と心地よさの間を揺れ動くような体験がこの作品の魅力なのだ。そのような心地よい緊張感のなかにも内省や叙情があることを本作は示している。
Astrid Sonneそして、この『Great Doubt』という作品は、彼女と同じくデンマークのアーティストであるML BuchやSmerzあるいはロンドンのTirzahやMica Leviと並べて語れることが多いが、この緊張感という部分に関してはとくにTirzahの1stアルバム『Devotion』に通じるところが大きいだろう。
本作におけるこの心地よい緊張感というのは、アコースティックなインストゥルメントがもつ無機質な側面から生み出されているものなのではないか。ドラムやピアノそしてストリングスが余白のなかに配置され、あるいはそれがシンセサイザーの音色と対比されることで生まれる無機物と有機物のあわいにこそ、この緊張感は存在している。
中心を欠いた捉えどころのない本作のテクスチャーはある種の温もりを感じさせる。しかし、これはアコースティックなサウンドに対するノスタルジーとは全く異なる性質の温もりだ。漂うようにリフレインする彼女の歌声は温もりのなかに溶けつつも、愛の不確かさを切実に表現している。