日本語という籠の中だけで 『ぼくイエ』書評を書いて
縁というのは、誰かしらの強い意思によって運ばれてきたりもする。
まだ私たちが疫病なんて知らなかった2019年8月のこと。「塩谷さんの書かれる文章を読み、この方なら自分が担当した本をどのように読んでくださるのだろうと無性に知りたくなって、献本させていただけないかとお尋ねするメールです。」と書かれているメールが届いた。新潮社の堀口さん、という方からだった。
その後送られてきた彼の担当作『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』を読んでみたところ、あまりの面白さにひっくり返った。内容の肉厚さもさることながら、「こんな物書き人生があっていいのか!」と、光を拝んだような気持ちになったのだ。
エッセイのように綴られる日々の中に、ポリティカルな問題や人種問題が色濃く滲み出た、イギリスで暮らすブレイディみかこさんの力強い文章。これからアメリカ暮らしを頑張っていこう、でも流行りのショップの紹介記事ばかりを書くのもなんか違うし……とかなんとか迷っている自分にとって、(勝手に)とても勇気をいただいた一冊だった。
生活を軸にしたエッセイと、社会を見つめるジャーナリズムのあいだに存在するような文章を書きたいという気持ちはずっとあったけれど、彼女の文章に触れて、それがより明確な目標になったのだ。
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で、これは私の駄目なところなんだけど、感動しすぎた作品っていうのは、なかなか言葉にできない。
言語化して陳腐になってしまうのが嫌だし、書くならばちゃんとそれなりのものを書きたいし……とかなんとか思っているうちに、『ぼくイエ』はベストセラーになってしまい、誰も彼もが紹介してしまったものだから、なんだか書くタイミングを失ってしまった(いや、別に売れてから書いてもいいんですけれども、なんかほら……)。
献本していただいたのに、そしてこんなにも感動したのに、感想のひとつも出さないだなんて不義理だなぁと思いながらも、あの本がこれほどまでに多くの読者を惹き付けることに、文芸という世界への希望を感じた。
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それからしばらくの時間が流れて、徹夜で初著書の原稿をひたすら校正して白目を剥いていた頃、文藝春秋の編集者の山本さんから、「ブレイディみかこさん、帯の推薦文引き受けてくださいました!」というメールが届き、飛び跳ねて喜んだ。
そもそも、帯をブレイディさんにお願いしよう……というのは、山本さんがご提案してくださったことで(私からは恐れ多くてお声掛けできない!)、あっちの編集さんも、こっちの編集さんも、どうしたことかブレイディさんと私とのご縁を強く結ばせようとしてくださるのだ。
そして本の帯を書いていただき、その後対談までさせていただき、先日販売されたばかりの『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー2』の書評まで書かせていただくなどした。文壇に置ける新人の道というのは、こうやって舗装されていくものなのか……だなんてじんわり感じ入りながらも、『ぼくイエ2』のあまりの面白さに、またひっくり返ってしまった。
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このシリーズの醍醐味は、
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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。