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「あなたはなぜ子どもが欲しいのか」という問いに対して

「あれ、酒飲めたんすか?」

昨日の夕方、近所の店に立ち寄り「ビールで!」と頼んだときに、若大将は驚いた顔でそう言った。確かに私はずっとこの店で「お茶で……」「ノンアルで……」と頼み続けていたので、飲めない人認定されていたのだろう。

というのも、不妊治療中は定期的に妊婦予備軍になるので、なかなか酒が飲めない。でも昨日、3度目の移植に失敗したことがわかったので、久々にビールを飲んだ。ノンアルビールとは比べ物にならないほどに美味しくて、身体中を巡る血が待ってました! と狂喜乱舞、ジョッキ一杯ですっかり酔っ払らってしまった。

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同時期に不妊治療を始めた子たちの多くは、すっかりお腹が大きくなっている。私はこれまでに採卵を2回、移植を3回やってきたけれど、いまだ腹はぺたんこである。とはいえ、3度目の正直かなと思っていた今回はhcgの数値も高く、妊娠継続率は90%程とかなりの期待が持てた。先に妊娠していた子たちとギリギリ同級生になるかもしれないな……とも思いながら産院を探していたところだったけれど、妊娠5週目にしてその可能性はゼロになった。


こういう話を書いていると、「何故そこまでして子どもが欲しいのか」「どうして子どもを欲しいかがまったく書かれていない」というコメントを頻繁に受け取る。が、それについて書くつもりは微塵もない。「うるせえな」で片付けても良いのだが、それでは角が立つので書かない理由を書いてみる。

もちろん、子どもを望むに至ったいくつかの理由はある。柔らかいものもあれば、現実的なものも。けれども、その理由を言葉にするのはかなり危ういことだと思うから、書かないようにしている。自分の内蔵を通して育むにせよ子どもは他者で、「こうした理由があり、あなたをこの世に召喚しました」というのは、あまりにも大きな欲の押し付けであるし、ましてやそれを見ず知らずの第三者と共有する気持ちにはなれない。


……というのともう1つ。「子どもが欲しい」という理由を言葉にしてしまうことで、こうした不妊治療の日々が、大きな感情を伴ったものになってしまうことを私はかなり恐れている。感情は言葉という輪郭を与えてやることで、ぐんぐん育つ。子どもに対する強い願いを意識してしまったら、その願いが叶わない状況が辛くなるのは目に見えている。だから、強い感情を抱かないためにも言葉にしない。そうすれば、辛い気持ちも抱かなくなるのだ。結果、私は大きく落ち込むこともなく不妊治療を続けられている。


子どもがいたらいい。いなくてもいい。今のところ、どちらの人生も想像している。ただ、片方の未来を作るためには努力できる時間に限りがあって、後悔しないためにもいま尽力しておきたい。せめて保険適用の上限である6回までは。通院する。注射を打つ。採血をする。薬を飲む。禁酒をして、健康に気をつけながら結果を待つ。不調や痛みに耐えながら、目の前のタスクを粛々と進める。私にとっての不妊治療は、それ以上でもそれ以下でもない。


──


でもこれは、不妊治療に限ったことじゃない。私はここ数年、個としての他者を伴う未来に関して強い願いを持たないように出来る限り気をつけている。

というのも私は欲深い人間で、「理想」を掲げたときの感情の強さがかなり大きい。その大きさ故に好きなものを追い求め、今の自分が形成された……というところは多分にあるけれど、そこに誰かを巻き込んでしまうと、それは不幸の始まりにもなる。他者への期待は、それが大きくなるにつれ支配的な欲求に変わっていくからだ。

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