日本料理の名店(2)
有名店の歴史と特徴
■瓢亭(ひょうてい)(京都 南禅寺畔)
元禄の中頃、今から400年ほど前のこと、深い緑と清流に恵まれた東山の麓で、南禅寺境内の門番所のひとつが掛け茶屋を始めた。
1837年(天保8年)、「瓢亭」と名乗って料亭の暖簾を揚げた。
1864年、今日の名所案内書『花洛名勝図絵』には、松林の中の南禅寺参道で、煮抜き卵で知られる「瓢亭」と、湯豆腐を名物とする「丹後屋」が路地を挟んで店を構える様子が描かれている。
岡崎通りの南禅寺総門をくぐり東へしばらく行くと、左手に建仁寺垣がつづき、瓢亭のこけら葺きの主屋が見えてくる。道に面した土間には、わらじ、笠、水がめ、しょうぎなどが置かれていて、茶屋だったころの佇まいを残している。
●瓢亭の名物:夏の「朝粥」、冬の「うずら粥」、瓢亭玉子(煮抜きの瓢亭玉子)
明治初期、祇園界隈で夜遊びした旦那衆が朝帰りに、円山公園、知恩院と歩いて来て、朝飯を食べさせろと店の雨戸をドンドンたたくので、粥を作って出したのが朝粥の始まりだとか。
・瓢亭の朝粥:ふっくらと炊かれた白粥には醤油風味の葛あんをかける。
瓢(ひさご)型で三段の重ね鉢はじめ、椀物、焼き物、そして名物・瓢亭玉子などがつく立派な献立
14代主人高橋栄一
■天ぷら 銀座「天國」(てんくに)(東京 銀座)
明治18年(1885年) 銀座3丁目に開業。当時の銀座は1丁目から4丁目までしかなく、まさしく銀座の真ん中に小さな屋台店として始まった。
当時の天ぷらは、今でいうファストフード。揚げたてを並べる端から指でつまんで召し上がるスタイルで、なんともいなせな、忙しい料理の店だった。
大正13年 銀座通り沿い8丁目角へ出店。すぐ先に新橋がかかっていることから「新橋天國」とも呼ばれた。
その後、再建やリニューアルを経て、令和2年(2020年)本店が移転し新店舗としてオープン。
正真正銘の老舗天ぷら店。江戸前天丼 かき揚げ
中までぎっしりとタネを詰め込みながら、お椀型に厚くふくらみを持たせ、しかも芯まで柔らかくふんわりと揚げる。天國ならではのかき揚げは、タネを盛り足すことなく約3分間で揚げ切る、いわば一発揚げの妙技によるもの。熟練した職人のみに許される秘伝の技こそ老舗の誇りである。
■すき焼き「浅草今半(いまはん)国際通り本店」
明治28年(1895年)創業。初代・相澤半太郎(1877-1933)
「今半」の名の由来は、創業当時から港区白金にあった「今里村」政府公認の食肉処理場の正規ルートから来た牛肉だけを使用していたという意味で「今」。他にも諸説あるらしい。
創業者の名前が半太郎というところから「半」。
現在5代目・相澤二郎
華やかな浅草仲見世右裏に建てられた、当時の建築技術の粋を集めた建物は「今半御殿」と言われた。
江戸浅草の粋と文化の中で育まれた老舗。屋号(商標)を「浅草今半」と称し、株式会社今半と、株式会社高伴の2社で構成。
株式会社 今半は、国内産黒毛和牛を主体に精肉の加工販売、牛肉つくだ煮、カレー、ハヤシなどレトルト商品の製造販売、全国百貨店での牛丼催事、弁当事業などが主な業務。「味」と「品質」の良さで高い評価。
株式会社 高伴は、飲食部門として「すき焼き」を中心とした日本料理を継承し「すき焼き割烹」として、浅草のグルメスポットとして世界各国の方々から広く紹介されている。
■鮨「銀座 久兵衛」(東京 銀座)
昭和11年(1935年)創業
江戸前鮨を代表する老舗。かの北大路魯山人や志賀直哉らに愛されたことでも知られる名店。
以前は好まれていなかったウニ、イクラ、ナマコなどを、寿司ネタとして初めて出したのが久兵衛の初代 今田寿治(いまだとしはる)。
また、新鮮なネタに、砂糖を使わないシャリも特徴。
魯山人と初代 今田寿治との逸話。
魯山人が「寿司というのは威勢がよくなくちゃいかん。そのマグロも、もっと厚く豪勢に切ってくれないか」といったのに対し、今田はこれでどうだといわんばかり、マグロをとても食べれないほどの厚さで切って握った。
そして「握り寿司ってのはな、タネと飯のバランスだ。マグロが薄いってぇが、ちゃんと飯と釣り合いがとれてるつもりだぁな」と啖呵を切り、魯山人はぐぅの音も出なかったという。その後も魯山人は通いつめ2人は親交を深めた。
現在の本館の4階には、魯山人ギャラリーがある。
また、本館の建築は、東京建築優秀賞などを受賞した建築家・野生司義光(のうすよしみつ)による。2006年にリニューアルオープンした別館は、羽深隆雄が設計を手掛けており、建物は建築賞を受賞。
●握り寿司の誕生~江戸の後期、場所は江戸市中、さまざまな形態の鮨が生まれる中、その最後を飾る形で握り寿司が誕生。
それまでは江戸でも、もっぱら関西流の押し寿司だったが、屋台の店の寿司職人が思いついて寿司飯に刺身をのせ握って、インスタントの寿司をつくって握り寿司ができたといわれている。
押し寿司は少し時間が経ったほうが、具と寿司飯が調和してうまい。だが、気の短い江戸っ子には、悠長な食べ物は気に入らなかったらしく、目の前で握ってもらい即座に食べられる握り寿司が現れると、たちまち爆発的な人気となった。
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