荒波だらけなわたしの プロフィール(1)
初めまして。yucco(ゆっこ)です。
noteを始めるにあたり、私のざっくりプロフィールを書いていきたいと思います。
昔から学校の勉強が苦手で、気が散りやすく、次々新しいものに興味が湧いてしまうタイプで、話が長く周りから浮いている存在でした。
そんな私が、この世界で生きていくために人間を観察し、周囲に溶け込む努力をした結果、波乱な人生を経験し、自分を見失い、身体からのSOSがきっかけで、自分を見つめ直し私らしく歩む決意をするまでの人生録。
上手く書き上げられるかわかりませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
生まれてから~幼少期
私は切迫流産寸前の状態から、五体満足+乳歯を持って生まれてきました。(歯が生えて生まれてくる子供を"鬼の子"というそうです。)
赤ん坊のころもあまり泣くことがなく、基本的に笑顔で人見知りもせず、幼稚園の時には常に誰かからおやつをもらって帰ってくるような、ちゃっかりしてる子供だったようです。
また、性格はどちらかというと「自分大好き」「私を見て…!」的な頭の中お花畑な自分大好きお姫様気分の強いタイプで、行動力というか体現する力というか、とても活発で勝気な大人びた側面もある子供でした。
そんな風変わりな私は、周囲の子から浮いている存在であったと記憶しています。よく「あーそぼ!」と言っても、「yuccoは嫌だ!」といって一緒に遊んでもらえなかった、逃げられていたように思います。
小学校~中学校
この頃は友達関係も家庭環境もあまりよくありませんでした。
家庭環境はさておき、友達関係に関しては、既に幼稚園の時から始まってはいますが、はぶかれることや仲間外れにされることは日常茶飯事。
ここから私の試行錯誤(波乱への道)が始まります。
・なぜ嫌われるのか?
・私のどこがダメなのか?
・周りの人と何が違うのか?
・普通とは?
など、日々疑問と向き合う日々でした。
この時点で自分をどう見せれば人に気に入ってもらえるか、また受け入れやすくなるのかを学び、嫌われない立ち振る舞いを身に着けていったように感じます。
しかし、結果として周囲の同年代とは価値観が合わず、友達という友達が出来ることはありませんでした。
高校~フリーター1年目
高校時代はある人がきっかけとなってくれたことで、仲間といえるような居場所を持つことができました。
その居場所があったことで、その後、最悪な状態となる家庭環境からは少し離れることができ、どうにかその時期を乗り越えることができました。
しかしそれと同時に「仲間から嫌われないように」という意識が強く働き、周囲の目を強く気にするようになるにつれ、周りと違うことやみ出ることを恐れるようになり、自分の気持ちを無視するようになっていきました。
そんな中、高校3年で就職活動することとなりますが、5~6社受けて全滅。就活担当から就職確実だろうとお墨付きをもらっていただけに、またここで人生の挫折を味わうことになりました。今思えば、面接官の方たちには私が「いい子ちゃん」を演じていることはお見通しだったんだと思います。最終的には私一人だけが先の進路も決まらぬまま、高校卒業となりました。
この時ちょうど両親の離婚が決まり、自分で収入を得る必要もあったので、大学や専門学校への道ではなくフリーターとなる道を選択しました。
アルバイト と 専門学校
フリーターとなり飲食店でバイトをしたことがキッカケで、飲食関連の専門学校に通うことを決め、フリーター2年目で専門学生となりました。
しかし家にお金を入れる必要がある事に変わりはなく、昼間は学校、夜間はバイトと二足の草鞋を履きながら2年間過ごすのですが、今思えばこの頃の無茶な生活から私の中の崩壊は始まったのだと思います。
この時期の経験は多忙ながらも確かに私に自信をつけてくれた、大切な期間であったことは間違いありません。
大変だったこの期間、
・私を心から応援してくれる人と出会えたこと
・私の存在を受け入れ、能力を伸ばそうとしてくれた方々がいたこと
・「接客部門 全国一位」という予想していなかった経験を得られたこと
・難関だと言われた企業への就職を最速で決められたこと
間違いなくこれらの出会いや経験によって、今この私があると思えます。
この時やっと、自分自身の存在、在り方、居場所、ポジションのような、自分に求められているもの、存在意義の様なものを掴めたように感じました。
社会人~挫折・引きこもり
高校生の時に叶わなかった会社への就職。こんなにもすんなり決まるとは思っていなかったので、「きっとこの時のためにあの経験はあったんだ」と、心の底から思えるような経験でした。飛び跳ねるほど嬉しかったです。
しかし、現実はそうは甘くありませんでした。
私がバカだったのも技量がなかったのも根性がなかったのもそれが原因だということも、苦しいぐらいに重々承知はしていますが、この会社での上下関係や上長信仰、セクハラ、パワハラ、稼働負荷についていくことが出来ず、半年も持たずに会社を辞めることになります。
厳密にいえば、目の前の線路に飛び込むか、全て投げ出してばっくれるか、駅のホームで泣きながら考え、親との電話で生きることを決めました。
もちろん私に非は多くあると思います。
しかし、今考えてみても「仕事」と「命」を天秤にかけるようなあの状況からは、逃げてよかったと少し大人になった私の目からもそう映ります。
この件でご迷惑をお掛けした方は多く居られると思います。またご心配してくださった方もいらっしゃると思います。その方々には本当に申し訳なく思っております。その際は、本当に申し訳ございませんでした。
そのあとの私は数か月ほど笑うことも出来ず、自分の情けなさや罪悪感に苛まれ、引きこもる日々を送ります。この時期の記憶はほとんどなく、廃人のように価値のない自分をどう葬り去ろうか考えている時期でした。
回復~再度、フリーターに(生活/恋愛も)
引きこもっていた間、幼馴染が声を掛け続けてくれたことや、私を頼ってくれる友人が居たことで、少しずつ元の生活に戻っていくことができ、そこからは派遣社員やコールセンター、リゾートバイト、飲食店、ガールズバーなど、色々な職種を転々としながらまたフリーターとして生活をしてました。
この間にも色々と問題が起こり、仕事をクビになったり、パワハラを受けたり、給与面でオーナーと喧嘩になりその場でやめることになったり…と、なかなか安定した場所に巡り合うことが出来ませんでした。
この時は生活もかなり荒れていて、堰を切ったように、毎日毎日飲み歩いては翌日に二日酔いで目が覚める。という生活を繰り返し、この頃はまだまだタバコも吸って、とても不規則な生活だったと思います。この時期に酔って作った傷跡もいまだにいくつか残っています。。
恋愛もなかなかの失敗続きで、長く付き合った彼と別れ、結果としてまたその彼と戻るまでの約1年間のあいだ、色々な人とお会いし、ありがたいことに中には好意を寄せてくださる方もいらっしゃいました。
中には両想いになれた方もいましたが、、、
またここでもいい子ぶっていた自分と大人になり切れていない子供な自分が原因で、最悪な結果のお別れをすることになってしまいました。
突然の出会いから別れまで本当に一瞬の出来事で、なかなか整理することが出来ずに、ずっとずっと自分の心の奥底にしてしまいこんで見ないふりをして、普通の顔して生活しているうちにいつもの日常に慣れて、思い出すことなく目を背けて今の今まで来ることが出来たのですが、何故か最近、突拍子もなくその彼が夢に出てきたことで、やっときちんと自分の気持ちに向き合うことが出来ました。
せめてあの時、あの最後の時くらい、大人らしく受け入れて、優しい言葉を返すことが出来なかったのか。
もうちょっと大人になってから出会いたかったな…なんて思っても、遅いですね。失敗はやり直せないですが、前に進むための糧とします。
きっと今はもう素敵な人と一緒にいることだろうと、いや、きっといてくれるだろうと遠くから願っています。届くことはないだろうと思うけど。
あなたは本当に素敵でした。今までもこれからも、少年のようにたくさんの希望を胸に、多くの夢を叶えていってください。応援しています。
辛い就職活動~正社員へ(恋愛/修羅場も)
再びフリータとなってからは、「この先もアルバイトなどで生計を経てよう」「もう辛く苦しい正社員は嫌だ」と、本気でそう思っていたのですが、人生、何があるか本当にわからないものですね。
きっかけは元カレとの復縁。
以前、長く付き合っていた彼で、一度私の方から別れを切り出し1年程してまた元のサヤに戻りました。理由は、彼の熱意に押されてといった形です。しかし、その選択が私の将来をも大きく変えていきました。
元さやに戻る前提として婚約状態となったのですが、そこにまさかと思うようなな落とし穴が待ち受けておりました。「借金」です。以前、付き合っていた期間に「不動産を購入した」というのは聞いていたのですが、離れていた1年間の間にその不動産の支払いが滞り、合わせて車の保険や賃貸の支払いをも滞納していることが発覚しました。
ですが、もうすでに結婚を考えていたので、「私がこの人を支えるしかない…!」という一心で、今までに何度も挫折した『就職活動』にチャレンジすることとなります。
しかしこの時もそう簡単にいくはずがなく、自分で自分の傷をえぐるような散々な結果に落胆する毎日で、そんな私に光を与えてくれたのはハローワーク窓口のおじさんでした。
「人はひとりひとり『かき氷』のように個性があって、例えば私は『宇治抹茶』、君は『いちごみるく』。宇治抹茶が大好き!という人もいれば、苦い宇治抹茶は嫌いだけど、甘ーい いちごみるく が大好き!という人もいる。人間関係もそんなもの。『いちごみるく』な君を大好き!といってくれる人が必ずいるから。大丈夫。嫌いだという人は『いちごみるく』のような味が好みじゃなかっただけ。」
おじさんが何回も何回も私に言い聞かせてくれた言葉です。行政窓口の見ず知らずの方にこんなにも救われることになるとは思いも寄りませんでした。
この方のおかげで、約4-5か月後、今現在でも4年程所属している会社に就職することとなります。(因みに業種は私が苦手視していたIT業界でした。)
正社員~現在
ここからは最近の話が多くなるのですが、まず最初にお伝えしておくと借金まみれだったあの方とは再度キッパリとお別れをしております。最終的にはあちらの「浮気」が原因で、浮気理由は「私がお金の話をしてくるのに耐えられなくなったから」だそうです。まぁ人間所詮そんなもんですね。
諦めているわけではなく、それぐらい人は弱く、よく間違えるものだと学びました。私も含め、みんなそうなんだと思います。(そこで戦うは自制心。)
そして今現在、あれから苦手分野ではあるもののIT業界に入り、また荒波と戦う日々が始まりました。パワハラやセクハラまがいもあったと思います。しかし、こうして波を乗り越え今新たな道を選択しようと出来ているのは、紛れもなく過去の失敗や荒波が糧となってくれたおかげです。
尚、新たな道とは「正社員~フリーランスへ」という新しいステージです。
この数年間、正社員を続けて来れたことにより、見たこともない景色・知り得なかった環境・出会うはずもなかった方々、それまでの私では考えられないくらい本当に多くの経験を私に与えてくれました。
たしかに辛いことや悔しいこと、大変だったことも沢山あります。
しかし今までの人生を考えると、明らかに私の糧となる素晴らしい経験だったと本当に感謝していえるような経験です。
そんな中で私が早めのタイミングで新しいステージに移行することを決断した理由は「体調の変化」でした。
ここまでの人生で色々な経験をして、都度、自分の中を内観し常に冷静さを保てるよう心がけてきました。でも、身体は正直でした。
フリーターになったあたりから、全身の皮膚と粘膜に蕁麻疹がでるようになり、気が付けば毎日薬が手放せない生活となっていたのですが、2年前の4月頃からは急に症状が悪化、強い薬を飲んでも効かなくなってしまいました。
それと同時に呼吸が苦しくなるという症状が発症。
職場で呼吸が浅くなり、パニックになりそうになって必死にトイレに駆け込み抑える。ということを何度か繰り返したのち、さすがに限界かな…と思い、自ら心療内科に助けを求めました。
そこから約2年ほど経ち、今現在は症状がかなり改善され安定しています。
そんな経験から「私には正社員は合わない」という結論に至りました。
今まで何度もチャレンジするごとに叩きのめされてきた「正社員」への道。私は社会に認められない不良品だ。と思いながら生きてきて、初めて正社員になって社会の一員となれた気がしたのも束の間。私には望んできた場所が合わないのだと思い知らされた今、私が思うことは、
「それぞれ違ってみんな良い。自分に合う形を見つけることが何より大切」
これだけです。
今、思うこと と これから
今私が人生で1番重要だと思えることは、
『自分が「心地よい」と思える場所はどこか』
これに尽きると思います。
今までの人生、色々な荒波と対峙してきて、どの経験が悪いとか、あのときの何かが良くなかったとか、思い起こせば次々と浮かんできますが、あの時あの選択をする時、私に一番必要だった答えは、『自分が心地よいと思える選択はどれか』ということだったと思います。
今までの私の人生の選択や経験に後悔はありませんが、この気持ちを大切にしていたら、きっともっと軽やかに人生を歩むことが出来たのではないかと感じています。
多分そうして生きていられれば、身体からのSOSもなかったはず。
そこまで自分を追い込んできてしまった私の経験談を見て、一人でもいい、何かに気が付き、自分に優しくなってもらえたらと思い、このプロフィールを書きました。
人は弱い生き物だから、誰かに頼っていいんです。
頼る自分がダメなのではなくて、そこから自分がリラックスできる、居心地のよい環境を見つけて行ければいいんです。
きっとそれが貴方にあった場所ならば、自然と自分だけでなく、周りの人や助けてくれた人にも感謝や優しさをプレゼントできるようになるのではないかな。と今は感じています。
私はまず私の為に、社会の常識に縛られない選択をしたいと思います。
私にとってのその第一歩が『起業』かなと思っています。
こうして文章を書くのも、自分の気持ちを吐き出せるのも私にはあっているようなので、タイピングが遅いので時間はかかるけど、それくらいの努力は苦になりません。(笑)
心的に負担がかかると、すぐに蕁麻疹が顔を出してきますが、この作業中は全くと言っていいほど痒みが出てこないので、大丈夫なようです。
きっと、これこそが自分に合った努力というものなのかもしれません。
以上が、荒波だらけなわたしの プロフィール(1) でした。
これからは、過去のことや今思うこと、日常に沿った内容などを
こちらnoteに投稿していきたいと思っておりますので、
もし気になった記事があればお立ち寄りいただけるととても嬉しいです。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
これからどうぞ、yucco(ゆっこ)をよろしくお願いいたします。
みなさまの幸せを心より願って。
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