真似が出来ないものをクオリティの高さとしてはかる金銭価値、いわばオリジナルとしての評価の基準になり得る見方があります。
プロフェッショナルへの道筋として模倣から始まるそれぞれの創造性というものがあります。そこで結局、何が自分は好きなのか問われるような感じを受けるのです。
上手くコピーできている事なのか、グループワークが好きなのか、作っていく過程にしっくりきているのか、自分自身のタイプの輪郭が浮き彫りになってきます。一つを真似る事から性質的傾向が見えてくるのです。
突き詰めると技術者としてのスペシャリストとトータルパッケージである形を提示するゼネラリスト、プロデューサーといったクリエイティブにも力の発揮の仕方があります。
つまり逆説的に真似が得意か不得意か、勿論精度の問題はありますが、そのハマり如何というか偶発的展開が歴史を作っていった面があるのは否定できないと思います。
例えば、お馴染みザ・ビートルズはメンバー全員黒人音楽を愛聴し、リズムアンドブルースをバンドアンサンブルの基本軸に据えて、当初はかなりのカバーを演奏し録音も残っていますが、1962年にデヴューアルバム『プリーズプリーズミー』を発表する以前の主に録音したカバー楽曲群が個人的にしっくりきていないと感じてしまうのです。
理由は黒人音楽独特なリズムの間、タメの空気感がほぼ皆無である点。加えてボーカルの声質にアクを感じないため、原曲のオリジナリティに一日の長があると認識せざるを得ないとリスナーに覚らせます。
これは通俗的にもよく解釈されていますが、ビートルズはカバーがあまり上手くなかった為に独自のオリジナリティを発達させていったという見方はあながち間違いではないでしょう。
そしてポピュラー音楽史に燦然と輝き続けるビートルズほど真似をしたくなる、真似をされたバンドも無いと言って良い筈です。しかし真似した側が元祖を超えたケースも今だありません。
真似が出来ないもので惹かれる要素とは結局、解析すると技術に裏打ちされている且つ練れたプロデュースワークに秀でたものであると私的にはそうした範疇に置かれるものを指します。
非の打ち所が無い完成された上記の二作はポピュラーミュージックに於ける黄金郷に居る思いに浸ること請け合いです。
自分自身が真似の出来ない至高作品から何らかのエッセンスをフィードバックできるかで、審美眼が磨かれると確信できます。音楽以外の他ジャンルについても至高作品に触れるのが大事だと云われる由縁に他なりません。
音楽についてはこうした類似性が1970年代の作品には名盤の名の下に列挙できます。
真似から知り得るポテンシャル具合、努力でどうにかなるものか否か、覚る覚らないは自分に委ねられています。
【インフォメーション】
http://magone-film.com/
田邊アツシ監督作品『マゴーネ 土田康彦「運命の交差点」についての研究』
いよいよ6月9日(金)全国単館系にて劇場公開されます。各所にて舞台挨拶も予定されています。
お近くの劇場にて、ぜひ足をお運びください!