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『Malartic』富をもたらす町
中華街でブルーベリーを見ていると隣から声がした。『その生産元はやめておいたほうがいい、酸味が強い時期だから』
声の主は初老の男性だった。きれいな紫色とすっきりした甘味のこと以外、私はブルーベリーについて何も知らない。ちょっとした買い物も経験者の助言があると嬉しい。
先日は、ケベック州マラーティクの現状を映したドキュメンタリー作品『Malartic』を観た。
人口三千弱の町マラーティクは1923年に金鉱脈が発見されたあと、金鉱山の町として発展した歴史を持つ。ピークを迎えた1950年代には人口七千まで拡大したが、1965年に閉山してから衰退の道を辿っていた。
しかし2008年に新しい製錬技術をもって金鉱の再開を決めたオシスコ社が、約200軒の民家を取り壊しての大規模な開発に着手。十年後には最良の状態で町は生まれ変わっている。オシスコ社と町長は住民にそう説明した。住民は希望を胸に再開発を見守った。夜中も続く採掘の騒音に耐えながら。
映画は異なる二つのイメージを対比させることで普遍的な問題を明らかにしていく。一方では、金鉱により利益を増やしていくオシスコ社の成功が見える。また一方では、操業の再開から十年以上経ったにも関わらず、75%以上の店が閉まったまま、少ない賠償金を頼りに続くマラーティクの暮らしが見える。廃石の山に囲まれた町を眺めて一人の住民が呟く。
『富は山の向こう、こちらにあるのは生活苦だけ』
住民が抱えるものは貧困だけではない。騒音や汚染といったオシスコ社の違反行為に対して、住民は714件にのぼる苦情を出した。長年の訴訟を経て示談で解決した僅か数日後、政府はなんとマラーティクの金鉱に定められた騒音レベルの規定をつりあげたという。
この不当な扱いについて話を聞こうと監督のニコラス・パケは役所に何度も電話をかける。しかし自動メッセージや型通りの拒否が響くばかりだ。その堂々巡りは返答や解決策を与えられないまま暮らしてきた住民の日々を想像させる。企業と政府のどちらからも気にかけられていないという事実は新たなノイズとなって住民を苦しめ、溜まった不安や不満は住民の間にも亀裂を作った。
ある法律家は『一般市民が大企業相手に直接交渉しなければいけない時点で法律は破綻している』と語る。再開発が持ち上がった段階で入念な計画や住民との提携があれば起こり得なかったこともあると。言い換えれば、豊富な知識と経験を持つものが自分の利益と同等に町や人を守ることができれば貧困や公害は避けられるのだ。
監督はオシスコ社が次の開発を進めている町マードックヴィルへと向かう。そこには「数年後には素晴らしい変化を期待できる」と息巻く町長がいた。マードックヴィルの通りを収めた映像からは過ちを繰り返さないことを願う監督の気持ちが伝わってきたが――
山のこちら側では、富をもたらす地響きだけがいつまでも鳴り響く。