医療従事者でも予期悲嘆
ここ数日気分が重苦しい。
今日はひどいFogとどんよりした灰色の空で海が見えない。
やっぱり、お祖母様の影は悪性だったと。
depressedだ。
私が気にしていると察していたのだろう、二人きりになったときに自分から「もう知ってるかもしれないけど」と、前置きしてから話してくださった。
自分が病に冒されているのにもかかわらず、そういう配慮をしてくれる人間性が素晴らしい。
予想に反して、かなり希少ながんだったらしく私もその病態はあまり詳しくなかった。医師には、高齢だが元気で体力もあるので手術を勧められたとそうだ。高齢者にはがん検診さえ推奨しないカナダにしては異例だ。tumorはかなり大きいが、リンパ節転移もないらしく取り切れるかもしれない。
でも、帰宅してから改めて調べてみるとStage1でも5年生存率は50%以下。生検してないから種類とか、どの程度進行しているかは手術してみなければわからないようだ。手術しても予後1年とかだったらしないほうがいいのかもなぁ。
人間なのだから、生物学的な死は誰にでも訪れる。
それは頭ではわかっていても、割り切れないものがある。
だれだって100歳とか120歳とかまで生きられない。
ボケてもいない、生活は自立で80歳代後半まで来た。言葉は悪いが、お迎えの来るタイミングとしたら、むしろちょうどいいくらいだ。
自分なら70歳代まで生きたらそれでいい。
でも、眼の前の元気な人の寿命があと僅かだとなったら
「なんでだ!」
と理不尽にも怒りたくなる。
衰えていく姿を見たくない。
まだ、お別れしたくない。
半年後はどうなってる?
考えたくない。
こういう感情を予期悲嘆という。
自分がつらい状況であるとき、自分の感情がどういうものなのか理解することによって、痛みを軽減できたり癒やしたりすることができる。
そこで、予期悲嘆について復習しようと思ってググってみるが、どうもピンとくるwebsiteがない。
実際私は、緩和ケアリンクナースだった。
一般病棟の患者さんと緩和ケアチームとの橋渡しをしたり、病棟看護師対象に勉強会を開いたりしていた。(もちろんサービス残業で。)
そういうわけで、悲嘆のプロセスとかグリーフケアとかは、理屈ではわかってるけどやっぱり自分の身内に起きるとどうにもならないので、結局
酒に逃げる。
(酒は解決になりませんので、おすすめしませんが)
今まで、家族やら患者さんやら大勢の人たちを看取ってきましたが、結局は予期悲嘆のほうがより悲しみが深かった気がする。
実際、闘病期間が長くなると患者さんもだんだん弱って来てしんどい様子になるので、早く楽になってほしい、もう頑張らなくていいからという気持ちになり最後息を引き取ったときには、
「生ききったね!」「がんばったね!」と
亡くなった方共々、良く言えばねぎらいの気持ち、軽く言えば
心のなかでハイ・ファイヴをしてるようなやりきった感がある。
もちろん、なぜか夜勤中にお迎えがくる患者さんが多かったので、
めっちゃ忙しい夜勤のときは、
「今逝くのはやめて〜!」という状態もたまにはあるが・・・
そうこうしているうちに、亡くなってしまったことは悲しいんだけれど、Kは今頃好きなだけタバコ吸ってるんだろうな、とかYさんはあの世で元気にしてるかなー?などと寂しいけれど清々しい悲しさだ。
とりとめがないけれど、書いているとちょっと気分が晴れてきた。
教科書的にいうと
「感情表出」
「ナラティブ」
というらしく、一種のグリーフケアだ。
Yさんは、忘れられない患者さんの一人だ。
私は特定の宗教を信じているわけでもないし、非科学的なことはあまり信じないのだが、私がYさんのことを思い出し続けていることが、彼女の魂を不滅にしているような気がする。
いつかYさんのことを書いてみたいと思う。
■ グリーフケア ご参考までに