抱きしめるということ。
私は我が子を
愛しているし、子供が死んじゃったら死んじゃうし。
今から、子供が巣立った後の自分が 心配だ。
風俗で、働いている時の私のレビューに
誰かが書いていた。
「彼女の魅力は包み込むような溢れ出る母性」と。
でも私は我が子を 抱きしめられない。
子供が傷ついたりした時は
私の心も酷く痛いので
抱きしめて「大丈夫」と言えるけど。
普段から フランクに抱きしめることができない。
小さい頃からしてあげれていない。
寄ってこられると 何か得体の知れない気分になる。
罪悪感のような、嫌悪感のような、よく分からない気分になる。
ただ、私は母に条件的に抱きしめられたという
強い記憶が残っている。
母が16の時に出会った7歳上の男と
母が26歳になるまで続いた 不倫関係。
私は母が23歳の頃の子供なので
私生児である。
私が3歳の頃に、その男の離婚が成立したらしく
母はやっとの思いで 結婚したんだと思う。
父が迎えに来るまでは 母は折り合いの悪い
母の実家にお世話になっていた。
その頃は母にとって 唯一 心が許せるのは
幼少期の私だけだったんだと思う。
毎日、お腹の上で寝させられたのを覚えている。
子守唄も覚えているが
何を考えながら歌っていたのかな。
3歳の時に2階の窓から下を眺めていると
父が車を停めて手を振ってきた。
「おとうさんきたよ」
私はその男を父と認識していたようだ。
階段を下に降りると
玄関から続く長い廊下の先に 怪訝な顔で寄り添う祖父母。
そちらに、気をとられつつ嬉しそうな母。
変な構図。
変すぎて私の記憶に激しく残る。
その日を境に3人で暮らすことになるが
母は私に見向きもしなくなった。
やっと大手を振って表を歩ける
2人の世界が始まったのだ。
私は静かなものを言わない
感情を出さない子供だった。
不思議に思ったことも
聞こうとした事もあったが
迷惑そうな顔をされる。
なので、聞かない。
それでも、この世に興味を持ち続けれたことは
ラッキーだなと思う。
母と父はよく喧嘩をした。
毎朝、母と父の機嫌を伺うところから1日が始まる。
私は昨日、自分は何かやらかしてないか?
と自分に布団の中で問いかけ
勇気を出して布団から出る。
父も母もきっと繊細な人だった。
外の世界で受けるストレスに対応出来てない部分が
あったのだと思う。
父はよく、私を殴った。
お箸の持ち方や、些細なことで。
母は、見て見ぬふりをした。
保育園から帰りたくは無いが
母は慰謝料のために働いていて
たまに迎えに来てくれない事があった。
帰りたくは無いが
本格的に いらない子供なんだなと 思ってしまうので
帰りたくはなかったが
複雑な気分だった。
そんな私を 母が強く 抱きしめることがあった。
それは父と激しく喧嘩をして、父が玄関から
飛び出して行った時だった。
私は母の一時の寂しさや不安を埋める道具なんだと
そう徹するしか無かった。
1度 喧嘩の後、母が私を連れて出ていったことがあった。
喧嘩中 出ていくという流れになった時に
私は
頼むから私も連れてってくれ!と心で願った。
もちろん。自己主張はしない。
その日は運良く、連れて行ってもらえた。
実家と折り合いも悪く、友達もいない母は
夜中 ドライブするしか無かったのだろう。
不安で寂しいのだろうから
頑張って起きていようと思ったが
まだ、保育園児。
目が覚めると
朝日を、浴びた
不安そうに思い詰めたまま前を向き、運転をする母の顔があった。
目がキラキラ綺麗だった。
どうしたらいいのか分からず 寝たフリをした。
膀胱が破裂しそうだった。
条件付きでの 依存や見放し、存在の押し殺しや
いつ状況が変わるかわからない状態が
私の我が子を抱きしめることのできない理由なのはわかっている。
40前になって親のせいにするつもりは無いが
未だに問題を解決できない自分が
より一層無能に思える。
理由が分かっても解決策は分からない。
この話は基本、人にはしない。
人は、この気持ちの悪い、悲しい気分は理解できず
ただ
「抱きしめてやれ」と
私に余計に罪悪感を感じさせるだけだ。
何か言って欲しい訳でもないので、基本人に
この話はしない。
抱きしめることが出来ない自分は
言葉で沢山愛を伝えたいと思うが
それも抱きしめと同様苦手だ。
なので、
子供を貶すことはせず
暴力的に怒ることもせず
諭し、教え、楽しませ、
些細なことを 沢山見つけて褒める事で
抱きしめられない罪悪感から
逃れるようにやってきた。
有難いことに 今、我が家には笑顔が溢れ
沢山会話がある。
子供たちは
かなり濃厚なお話ができる年齢になってきた。
沢山のことを話してくれる。
有難い。
私よりは到底ましな人間に育ってくれている。
最近、私は子供含め ある人と暮らしだした。
まだ籍は入ってないが
夫だ。
夫はアメリカ人だ。
いや、バチバチの関西人なのだが
中身がとっても 日本人じゃない部分がある。
1年以上 友達を続けてきたのに
暮らしだして未だに
「〇日、デートしてください」と言ってくれる。
美術館とか行きますか?と聞くと
「あなた以上に美しいものは無いので行かないです」
とおしゃれに断ってくる。
歯が浮くようなセリフを連発する。
私はそれに上手く答えられなくて申し訳ないのだが
彼のそういう所が好きだし。
行動も伴っている。
大好きだし、いちばん安心できる場所だ。
彼のそういう所が羨ましいし尊敬できる。
長女が 言っていた。
私は 下の人間とは付き合わないし
自分に持ってないものを持ってる人を
連れてくるねと。
我が子にとっても 彼は 良いお手本になるし
我が子にとっても 安定の場所となっている。
私もいつか、彼のような大きな船になりたい。
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