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朴訥という格好の良さ 小林賢太郎「僕がコントや演劇のために考えていること」


ご無沙汰をしております、木庭です。
相変わらずのご挨拶ですが、12月になったので、読書感想を中心に、また少しずつ記事を書いていきたいと思っております。何卒お付合い。

そういうならば、12月1日から始めるべしであったと思うのだけれど、昨日の突然のニュースに驚いて、ずっとそのことばかり考えていた。

『肩書から「パフォーマー」をはずしました。』って言うけれど、『小林賢太郎は、劇場にいます』と自称した人の、肩書からパフォーマーが消えたらどうなるのだろうか。

小林賢太郎さん、基ラーメンズを初めてみたのはまだ小学生のころだった。いとこが録画した爆笑オンエアバトルのビデオを見せてくれた。関西の田舎町で育った私の周りにあった「笑い」というのは、いわゆるコテコテの上方漫才。慣れ親しんだ、予測が出来る安心感のある笑いとは全く違う、ラーメンズの不安のある、けれど好奇心を掻きたてられる「理解のできない笑い」は衝撃的だった。

そこから、だいぶん時間は飛んで、次に深くラーメンズにはまるのは大学生のころ。仲の良かった女の子が、ラーメンズのファンで公演のDVDをいくつか持っていた。私たちは度々集まっては、繰り返し繰り返しDVDを見て、セリフを覚え、言い合っては笑い転げた。

大学を卒業した後も私の「賢太郎熱」は冷めることなく、KKPやポツネンの舞台を見に行き、ブルーレイを買い、幻冬舎文庫の戯曲集を集めた。フライヤーも、ディスクも、書籍も、そのすべてが永久保存決定ものである。

ラーメンズが好きで、本を読むのが好きな人で、まだ戯曲集を手にしていない人はぜひ本屋にに探しに行ってほしい。kindle版もあるようだから、それでもいい。文章で読むラーメンズはまた違った味わいがある。

2020年は、世界的な歴史に残る一年になってしまったわけだけれど、そうじゃなくても私の中のいろいろなものに、終わりが来たというか、区切りが来た一年になった。

村山由佳さんの「おいしいコーヒーの入れ方」が終わってしまったし、小林賢太郎さんがパフォーマーを引退したし、もっと細かいところを言えば10代のころからたとえその更新が途絶えてもSSを読みに参じていた個人サイトがサーバーサービスの終了で消滅したり。

今目の前にあるものが、いつまでも目の前にあり続けることはない。そんなことはこれまでも脳味噌の中では理解していたけれど、こうも続くと切なくなる。目の前から消えてしまったって、これからもずっとずっと好きだという気持ちを変えることはきっとできなくて、それは間違いではないのだろうけれど、どことなく置いてけぼりを食ったような心地もある。

別に、小林賢太郎さんは「パフォーマー」を辞めただけで、これからも「裏方」という立ち位置で創作活動は続けられるようだし、村山由佳さんもおいコーが終わっただけで別の作品を発表し続けている。だから、変わらず作品を買って、観て、応援を続ければいいだけの話。

でも。今日眠りにつくまでは、この寂しさをゆっくり味わっておこうと思う。

小林賢太郎さんの肩書から、「パフォーマー」が消えたらどうなるか。

きっとどうにもならない。多分、何も変わらない。

なぜなら、小林さんは旅芸人だと、「僕がコントや演劇で∼」のなかで語っていて、旅芸人だらか少しでも身軽に、荷物を減らすために手土産も持って行かないと書いている。

パフォーマーのステージが終わっただけで、次の旅に出るのでしょう。

願わくば、小林さんのステージをもう一度、客席で見たい。人生が変わるあの感じを、もう一度生で感じたい。

ただのいちファンなだけなんだけれど、客席と舞台の間にあるという「第四の壁」を「そんなものないよね」と言って、確かにそう実感させてくれた小林さんのお知らせだから、心からの応援と作品によって再会したいという願いを贈りたい。

朴訥とした大人が、山高帽と丸眼鏡が似合う男が、カッコいいんだと刷り込んだ罪は重いのだ。これから先もまだまだ楽しませてほしい。

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