それでも、この世界は素晴らしい場所だよ
昨日の夜、なんとなく「そろそろ目が覚めそうだ」と感じて、やっぱり今朝から調子が良くなりました。
私はときどき、体は起きているのに、感覚が眠ってしまうような日々を過ごします。
眠っている時は、体も気持ちもなんとなくだるく、あらゆる作業に時間がかかるようになります。そして、集中もしにくい。歩くのも億劫で、ベルトコンベアーに乗りたい気分。何に対しても自分で選ぶことが面倒になり、誰かに乗せてもらって楽したいーと思ってしまうんです。
大袈裟ですけれど、「生きてて楽しいってなんだっけ」とか感じたりもします。
でも、何かのタイミングでちゃんと戻るんですよ。ずっと眠っている訳ではない。
どうやら、眠る時と起きる時を繰り返しているようなんです。
これ、保育の仕事から離れ、自分のあらゆる部分に気が回るようになって初めて気がつきました。
でも、今まではなんのタイミングで「眠る、起きる」が切り替わるのか分からなかったんです。(その期間8ヶ月、ながい)
そして、ようやく今日、ひとつ分かったことがあります。
目が覚める時は、
「それでも、この世界は素晴らしい」
と感じる時でした。
生きているといろんなことがあって、どうしてこんな面倒なの?とか、辛いの?とか思うけれど、「それでも私、この世界に行きたいって思ったんだよね」って唐突に胸が熱くなる瞬間があるんです。
いや、ちょっとおかしいこと言ってる自覚もあるんですが、振り返ってみると、時々そういう根拠のない感覚が全身を包んでくれて、私の背中をさすってくれているように感じるんです。
昨日は、なんだか辛そうな友だちとの別れ際、「それでもさ、この世界だっていいとこ、あるもんだよ。」と伝えたことで気づきましました。
そうだった。そうだったよね、と思うんです。
逆に、いつから眠ってしまうかについては現在調査中ですが、
なんらかの刺激で「もうこんな世界にいたくない」と感じているのではないかと思います。
そこで、自分で考えること、選ぶことを放棄したくなるのかな。
あまり考えずになんとなく進めるような、誰かが用意してくれた道を探したくなるのかもしれない。
でも、楽したいのに楽じゃない。
眠っている時は、起きてる時の感覚と違って、少し生きづらいんです。
これ、なくせるものなのでしょうか。
でも、定期的に繰り返して、その後起きた時の感覚がどんどん鋭利になっている点を考えると、バージョンアップ前の待機時間なのかもしれない。
今後は、この「眠っている時」の過ごし方についても、しばらく体験を集めてみたいと思っています。
生きているからこその体験学習ですね。
この世界は素晴らしいと思い出すことは、まさに私の生きる希望なのかもしれません。
この根拠のない希望に、私は支えられているようです。
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