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イギリスとの別れの旅。       コインランドリーの発明者ではない  ラウントリー.B.Sさんのお話ー前編ー

皆さん、こんばんは。モモです^^

 毎週日曜日の夜にソーシャルワークに恋をしてともに旅する世界ー序章ー

 いつまで序章なんだろうと、ずいぶん前からずっとつっこんでいますが、引き続きあまり気にせず進めていきたいと思います笑

 初めての方はようこそ!
 たまにのぞいてくださる方、ありがとうございます^^
 リピータの方、心からありがとうございます!

 今夜ものんびりと旅をしていきます。
 理想は「アナザースカイ」のような感じ。始める前に旅のアテンション♪
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・一応連載ですが、初めてでも大丈夫です。
・眠いから途中で寝ますも大丈夫です。私の文章センスの問題です。
・そんなときは、「おやすみなさい^^」
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ざっくりあらすじ

 さて、19世紀後半産業革命の時代のイギリスで、ソーシャルワークの源流地をたどる旅をしているところです。そして、約20回にわたりイギリスからお届けしてきてこの旅もとうとう別の舞台に!そう!アメリカに行こう!というお話をしていたところでした。 

 そしてイギリスを離れる前に2人だけ会いたい人がいるというお話しでした。前回は、1人目のブース.C氏に会いました。こんな方です↓^^

前回の旅のおみやげ_________________________
 イギリスで貧困問題に真剣に向き合ったのは、デニスン氏やバーネット夫妻だけではなかった。約17年間にわたる壮大な社会調査を行い、「貧困問題は個人の責任ではなく、国として真剣に取り組む必要がある。」という考え方をより確実なものにした人物がいた。その名もブース.C。             __________________________________※ブース.C(1840-1916):英語表記だとBooth.Charles カタカナ表記では、ブース・チャールズ

 前回、日本でいう伊能忠敬のような人と表現してしまいましたが、本当にすごい方でした。そして、今日は前回に引き続き、ソーシャルワークを学ぶ人にとっては、ブース.Cとセットでチェックしておきたい人物、ラウントリー.B.Sに会いに行きたいと思います。

 本当に今日が長かったイギリスの旅ラストになることを願って!

やっぱりコインランドリーの開発者ではないんです。

 今まで、旅の中で、COSはコストコではないんです!とかセツルメントはセメントの略ではないんです!など、しょうもないギャクを思いついては、書き続けてきました。

 そして、今回は、今回こそは!スルーしようと思いましたが、こうにも、私の心をくすぐるヒトに出会ってしまうとやっぱり触れずにはいられませんでした。ということで、皆さんの印象に残っていただけたら、きっとランドリーさん・・・ではなく、ラウントリーさんも嬉しいのではないでしょうか!

 いやでも、真面目な話、体操で人の名前が技の名前になったり、新しく発見された星や植物に発見者の名前がつくのは普通にあること!ということで、真面目にお伝えしておきます。

ラウントリー氏はコインランドリーとは全く無関係の方です!

 では、どんな人なのでしょうか。早速、彼への仮想インタビューをはじめたいと思います。

ブースとラウントリーは、セットだけどセットじゃない。

 ソーシャルワークを学ぶ学生にとっては、「ブースとラウントリー」といったら、「イギリスで貧困に関する社会調査を実施した重要人物」として、「ホームズとワトソン」ではありませんが、彼らに近い形でセットで覚えましょうと言われる人物です。

 国家試験対策であればそれでいいと思います。実際、教科書や参考書でもほぼ100%同じページに同じ流れで記載されています。

 ただ、ソーシャルワークの流れを知るうえで、この2者に出会ってみると彼らは確かに産業革命後のイギリスで社会調査を実施して貧困の解決を試みたという点では共通していますが、異なる部分も多くあります。

ラウントリー.B.Sは、

 ラウントリーのフルネームは、ラウントリー・ベンジャミン・シーボーム(Rowntree.Benjamin.Seebohm)といいます。もうここだけで読書感想文がたくさん書けそうです。日本人独特の感性ですが、ミドルネームがあってしかもベンジャミンとは・・・・なんともおしゃれでカッコいい名前ですね。

 福祉をちょっとでもかじったことがある方なら、むしろラウントリーのファーストネームであるシーボームの方に注目する方が多いのではないでしょうか。シーボーム・・・・のちにソーシャルワーク界というよりイギリスの社会保障政策を進める上で登場するとある有名な報告書の名前なんです。この話は、いつかの布石ということで!

 ちなみに私は学生時代、「ブースとラウントリー」と機械的に覚えていたのでこのことに気づいたのは、一昨日くらいです。

  他に気づいていた方いらっしゃったでしょうか・・・・!ちょっとマニアックですね。ごめんなさい。

ブースとラウントリーは同期ではなく父と息子?

 この方、前回会いに行った、ブース氏よりも30歳ほど若いんです。簡単にいうと、ブース氏が伊能忠敬の測量調査のような壮大な調査を始めたのが46歳だったのですが、当時ラウントリーはまだ15歳の少年でした。なので、ラウントリーは、ブースの次の世代ということになります。年齢差的に丁度父と息子のような関係でしょうか。実際、彼らに交流があったのかは、わからず・・・。

 ちなみにラウントリーも貧困に関する調査を実施したのですが、ご実家が製菓会社で本業はそちらの役員でした。とうことで、経済的に余裕があったので社会調査もできたということですね。このあたりは、貧困対策がしっかりと制度化されるまでは、どの人物も変わらないかもしれません。

ヨーク市調査でよく調査

 今回は、本当にダジャレ祭りになっていてごめんなさい。なかなか本題に入らずで反省中です。ブース氏の壮大な調査は、1886年から@ロンドンでしたが、ラウントリー青年は、1899年~若干26歳の若さでヨーク市というロンドンから北に電車で2時間程度の街で貧困に関する調査を実施しました。

 電話やパソコン、スマートフォンの普及していなかった時代、彼もまた約1万世帯の家庭を直接訪問し聞き取りを実施するという、全数調査を実施しました。ラウントリー氏の調査に続き、その体力と気力に脱帽です。本当によく調査をしていたわけです。

 彼の行った調査は、1941年に第2回、1951年に第3回が実施され、貧困を科学的に計測する方法として後世に引き継がれていきました。

いつもの文字数の件について

  今日は、ラウントリー氏の行った取組についてお話しして、気持ちよくイギリスの旅を終わらせる予定でした。そう、予定していたんです・・・。

 ただ、私の文章能力と彼の功績の大きさを言い訳に、来週、引き続きラウントリー氏の旅の後編を行いたいと思います。アメリカに行くんですと言って数週間が経ちました。気が付けばいつもいつも字数が3000を超えてしまいます。こればっかりは、本当にごめんなさい。

 ということで、ラウントリー氏の調査の結果とアメリカの旅への最終準備、イギリスの旅の総まとめを来週行いたいと思います!

本日のまとめ

今回の旅のおみやげ_________________________
 イギリスで貧困に関する社会調査を行った2人目の人物のラウントリー氏。彼は、ヨーク市での調査で現代の貧困の定義にもつながる重要な考え方を提唱しました!どんな考え方だったのか、そしてその調査結果は?次回!             __________________________________

次回の旅のアナウンス

 今回は、旅のおみやげがアナウンスになりました。ソーシャルワークを学ぶ人にとっては、今日紹介したブースとセットでチェックしておきたい人物、ラウントリー^^彼の取組をご紹介して、今度こそイギリスの旅とお別れしたいと思います。

 そして、今夜も、読みにくい文章にも関わらず、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。本当に毎週、中途半派でキリも歯切れも悪い内容になっていて申し訳ありません。それでも、引き続き次の旅でお会いできるのを楽しみにしています!次の週末まで皆さん、フリースタイルで、各自いろいろ進めていきましょう。

 それではみなさんおやすみなさい☆彡
 また、この旅って何一体?と思った方は、先週お届けした記事をお読みいただけれるととっても嬉しいです。

前回の記事はこちらです^^

この物語全体のお話はこちらです^^

おまけ
 この物語のアナザーストーリーはこちらのページで紹介しています。 もしご興味をお持ちいただけた方、ご意見や感想などお待ちしています^^



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