[フレクスナー1915]とは?メアリー物語⑤
皆さん、こんばんは。モモです^^
毎週日曜日の夜にソーシャルワークに恋をしてともに旅する世界ー第2章ー
第二章ということで、アメリカを舞台にソーシャルワークの歴史をたどる旅をしています。
夜なのでなんとなく、なるべく読んでいて「落ち着く・のんびり・なんだか安心・なんかちょっとだけ面白いかも」そんな気持ちになれるような旅物語にしていきたいと思っています^^なかなか実現できていませんが。
初めての方はようこそ!
たまにのぞいてくださる方、ありがとうございます^^
リピータの方、心からありがとうございます!
今夜ものんびりと旅をしていきます。
理想は「アナザースカイ」のような感じ。そしていつもの旅のアテンション♪
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・一応連載ですが、この話だけでも読んでいただけたら嬉しいです。
・眠い時が寝るとき♪そんなときは、「おやすみなさい^^」
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ざっくりあらすじ
序章では、約25回にわたって産業革命の時代のイギリスで、ソーシャルワークの源流地をたどる旅をしていました。様々な制度や人や出来事をたどる旅でした。
第2章では、アメリカ東海岸を舞台にイギリスが源流地とされるソーシャルワークがその後どのようにして確立していったのか、皆さんとその軌跡をたどる旅をしているところ(という設定!)です笑
ここで、前回の旅のまとめ(おみやげ)を紹介させてください。
前回の旅のおみやげ_________________________
リッチモンドは、貧困救済のアプローチとして、個人と社会の両方にその要因があると考え、双方への介入・調整・解決方法の提案が必要と考えた。そしてそれは、ボランティアではなく専門性が求められる実践活動であると主張した。 __________________________________
リッチモンドは、ケースワークという手法を貧困救済の慈善事業でもボランティアでもなく、専門性のある実践的な活動と考えたんですね。なるほど。
専門的な実践となってくると、いよいよ、ソーシャルワークというものがひとつの分野として成り立ってくる!良い流れ!波に乗ってきてきたのでは!と期待したくなります。
しかし、ここからは、歴史っぽいと言いますが、物語風といいますか、これで上手くいって、その流れをお話しして「おわり」では、すこし寂しいと言いますか、物足りないと言いますか・・・そんなに簡単にはいかないのが、この世の常・・・。 そう、前回の予告でもお知らせしたとおり。リッチモンドのソーシャルワークを、
批判した人がいるんですね。その名も、
フレックスナーです。
ということで今夜は、フレックスナー氏によるケースワーク批判のお話をしたいと思います。
フレックスナー氏っでどんな人?
前々回あたりからとにかく批判した人!という少し乱暴なご紹介だけはしていましたが、改めて彼の紹介をします。なんとなく、プロフィール表形式にしてみます。特に意味はありません。笑
氏名:Flexner,A.(エブラハム・フレクスナー)※フレックスナーでも可
生年月日:1866年11月13日ケンタッキー州で生まれる (享年93歳)
性別:男性
職業:アメリカの化学者、教育家
以上、出典は、Wikipediaということで、本当に簡単なプロフィールです。
何故か、ソーシャルワークの学問の歴史としては、とにかくケースワークを批判したという事実とその時の言葉?名言?だけが有名で彼自身については、あまり語られることはありません。
リッチモンドのチラシの奇跡のようにそんなに大きな波があった方ではないのかもしれません。笑
ただ、彼は、リッチモンドが生まれたメリーランド州のボルチモアにある、ジョンズ・ホプキンス大学という最難関の医学部として有名な私立大学を卒業しているんです。
リッチモンドとフレクスナー、ボルチモアという土地で結ばれた二人なのかもしれません・・・!
いや、カップルというわけでもないのですが!どちらかというと敵対関係?
フレクスナー氏は、Wikipediaの写真を見てみると「なんだか、お金持ちの学者さんって感じ!」です。お金持ちそうです。ただ、彼のプロフィールを深堀してもなかなか話は進まないので、先に行きたいと思います。
で、どんな批判をしたのか?
そう、ここが今夜のメインですね!
彼は、1915年、49歳の時でしょうか、ボルチモアでの全米慈善・矯正会議(のちにアメリカの社会福祉界の代表的な組織になります。)という会議で、「ソーシャルワークは専門職か?」(Flexner[1915])というタイトルの発表をします。質問をタイトルにされると答えが気になりますね笑 そこでこんな答えを発表します。
ソーシャルワーカーはいまだ専門職ではない。
もう少し、具体的にお話しすると、「ソーシャルワークは、現段階において専門的職業としての基準に適合しない。」そう話しました。
前回の記事で、便図で考えると、「ソーシャルワークの円の中にケースワークが入る」 という関係をお伝えしました。つまり、この発言は、ケースワークの理論化・体系化を行ってきたリッチモンドやその活動に賛同する同じ志を持つ人々にとって、かなり衝撃的な言葉になりました。
基準に合致しないんです。
また、少し乱暴なタイトルをつけてしまいましたが、このタイトルは、フレクスナーの批判の理由になります。
どういうこと????
個人的には彼の基準に合致しないだけでしょ!と思っちゃいました。実際に彼の衝撃的な発表の後に、様々な専門性に関する基準が発表されました。
一応ご紹介すると、彼は、専門的職業であるための6つの基準を提示しました。こちらです。↓
① 基礎となる科学的研究(基礎科学)のあること
② 知は体系的で学習されうるものであること
③ 実用的であること
④ 教育的手段をこうじることよって伝達可能な技術があること
⑤ 専門職団体・組織を作ること
⑥ 利他主義的であること
うーん。おそらくですね、鋭い方は、職業と学問は違うじゃん、文系の学問には当てはまらないものもある・・・などいろいろ感じられると思います。
実際に、この基準は、医学の専門性を提示するときに使われた基準のようで、医学部出身のフレクスナーらしいと言えばらしいのですが、それをそのまま、貧困救済のような社会的課題への解決手段としてのソーシャルワーク(手段としてはケースワーク)にも当てはめようとするのはちょっと無理があるかもしれませんね。難しい!
まぁ、これまでやってみては失敗するという流れだった、ソーシャルワークの源流をたどる旅の中で、初めて失敗ではなく批判というものがトピックスとして登場したのはなんだか新鮮ですね。
いつもの文字数の件について
さて、今夜は、目安の3000字どころか既に3500字をオーバーしています。批判が続くのもなんだか気持ちが良くないので、今夜はこのあたりでまとめに入ろうと思います。
今回の旅のおみやげ_________________________
フレクスナーは、ソーシャルワーカーはいまだ専門職ではない。とソーシャルワークの学問としての専門性を否定した。ただ、それは、医学という異なる分野の基準に当てはめただけ?だったためその当時は、衝撃的な言葉だったが、結果的には大打撃にはならなかった!(最後は、私の希望も入っています笑)
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次回の旅のアナウンス
次の旅、どうしましょう笑。アメリカ編に入りリッチモンドのケースワークのお話を中心に旅をしていますが、この後について、実はいくつか旅先がありどちらの方に旅を進めていくのか少し検討中です。
最近、書かせていただいて少し感じているのは、この旅は、専門性よりも、多くの人に気軽に読んでいておやすみ前に楽しいと思っていただけるようなものになることをやはり大切にしたいということです。
そのため、細かなソーシャルワークの歴史物語を続けていくよりももう少しカジュアルなものにしていきたいなぁと思っています。
勝手に私の中の公開反省会が始まってしまいましたが、ひとまず次回も、お楽しみに!ということにさせていただき、いつもの終わりの言葉に入りたいと思います^^↓
今夜は以上になります。今回も読みにくい文章にも関わらず、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。
引き続き次の旅でお会いできるのを楽しみにしています!次の週末まで皆さん、フリースタイルで、各自いろいろ進めていきましょう。
それではみなさん、秋の夜長、少し早いですがおやすみなさい☆彡
また、この旅って何一体?と思った方は、先週お届けした記事をお読みいただけれるととっても嬉しいです。
前回の記事はこちらです^^
この物語全体のお話はこちらです^^
おまけ
この物語のアナザーストーリーはこちらのページで紹介しています。 もしご興味をお持ちいただけた方、ご意見や感想などお待ちしています^^
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