本日の投稿
お休みします!!本当は1日でも早く自分史シリーズを書き上げて、次のステップに進みたいのですが、定期的にお休みしたくなるほど心へのダメージの蓄積があります笑
毎日投稿することは大事だと思うし、僕の中でも一つの目標ではありましたが、正直言うと今は気分が乗らないのです。そんな中、むりやり投稿しても読んでくれる皆さんの時間を浪費してしまうだけ。
なぜ、自分自身をすり減らしてまで自分史シリーズを書くのか。
もう一度考えて見た。
一つの計画のために、まずは自分がどんな人間でどんな象徴的な経験をしてきたかを知ってもらおうと考えた。
これは間違っていない。
そして、気付いたことはもう一つ。
読んでくれた人に「ばかだなあ」と笑って欲しかったり、「こんなことが現実であるんだ」と驚いて欲しかったり、「自分なら恥ずかしくて死ぬ」みたいな恥ずかしい気持ちにさせてみたり、「へぇちょっとエモいじゃん」みたいに人の心を動かしてみたいというエゴが芽生えてきていること。決して可哀そうだな、災難だったなみたいな同情を集めたくて、僕の人生の楽しい部分を省いているわけではない。
僕がしてきた楽しい思い出は全部、僕とその場で関わった人達のものだ。これは絶対に揺るがないし、共感を得ようとは思わない。むしろずっと独り占めしていたい。
そんな思いは時代とは逆行しているのかもしれない。
「リア充アピール」、「インスタ映え」、こういうものが息苦しくてたまらない。こういうものが良しとされる時代が。じゃあ暗くジメジメした思いや感情はどこへ行けばいいのだろう。
匿名であるからこそ、そういう負の部分を積極的に受容していくべきなのではないかと考えている。
心のままに綴ってしまったので、少し混乱しているが、
「楽しい、面白いという+の感情は、ストレスに感じない程度には世に広めてもいいし、自分の中だけで楽しんでもいい。-の感情は自分の中でだけで消化するには限界があるけれども、それを吐き出しずらい世の中、時代だよね。」みたいなことを言いたいのだと思います。
そんな悶々と過ごしている中、自分の思うとおりにならない、ままならない、という歯がゆい思いがあります。まぁ1か月やそこらで自分の思い描くようになってしまったら、別な所でもっと豊かで豪勢な生活をしているだろうね。
最近思うのは、どうしても「これ読んでる人おもしろいのか?」「読んでる人いるのか?」という思いがどうしても持ち上がってきてしまって、正直に言うとモチベーションが落ちてきている。
noteを始めて、PVが増えて、スキも増えてすごくワクワクした気持ちが今は無くなってしまっている。
とまぁ珍しく少し落ち込み気味ですが、実はリアル生活の方でも問題を抱えていまして、そこが大きいのも事実です。
実家が訪問販売に引っかかってしまい、その後処理、法テラス、弁護士、消費者センター、訪問会社の営業マン、支店長と目まぐるしく過ごしていたので、ものすごく簡単に言うと、疲れちゃった!ちょっと休も!ってな具合です。まだ決着ついていないのですが、一息つけるようになったので休みます。
これが許されないことのように「感じてしまう」風潮がなくなればいいのに、と思う社会的マイノリティでした。
つづく?
~~~マガジンにまとめてみました~~~
自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子
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