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ホドロフスキーのサイコマジック説法覚え書き

『ホドロフスキーのサイコマジック』公開にあわせ2020年6月4日に配信されたパンデミック時代に捧ぐ「ホドロフスキーのサイコマジック説法」。みんなにわかってほしいけどなかなかわかってもらえないすべてのことがここで語られていたので自分のための忘備録も兼ねて内容をまとめておきます。単なる言葉としてではなくホドロフスキー先生のパワーとエネルギーが無意識に伝わりますように。

ちなみにわたしがやっているボディートークという無意識に作用するセラピーとの共通点については以下に書きました。サイコマジックを体験してみたい方はご参照ください。

Q:エーリッヒ・フロムと精神分析を学んだあと、言葉でなされる精神分析をやめて行動を起こすサイコマジックをはじめたのはなぜ?

初めてフロムと会ったのはマルセル・マルソーとメキシコに行った30代のとき。フロムから電話があって精神分析を教えているところにこないかと誘われていったが、そこでやったのは話すことだけ。政治や人間についてなどいろいろ話して分析してもらったけど、わたしは精神的に問題がなかったのでまったく何も変わらなかった。彼らは言葉だけに依存していて感情の表し方をわかっていなかった。そこでフロムと一緒に考えたのは言葉は真実への地図であって真実そのものではないということ。何が問題かがわかっても言葉は解決策にならないし癒しにならない。わたしはパントマイムをやっていたため肉体的言語をよく理解していたので、まず真実にたどりついたら、それがどんなものであるかを感じるために体を動かして行動することを思いついた。わたしは詩人でもあるが詩についても同じことが言える。まず書くという行動を起こすことが大事。だから癒すには言葉より行動を促す。それがサイコマジックにつながった。

Q:サイコマジックは無償で、条件は行為を成し遂げたら手紙を書くこと。これまでに効果がなかったというネガティブな手紙を受け取ったことはある?

一度もない。これはわたしからの贈り物、科学ではなくアートだから。お金のためではなく自分自身を知るためにサイコマジックをやっている。なぜならわたしは個人ではなく人類全体だから。わたしはあなたであなたはわたし、みんなはみんなだというところから始まった癒しの芸術。精神分析にいく人は高いお金を払うので結果が出ないと怒る。わたしは無料でやることにより、みんながどのような行動を起こしたかを知ることができる。親がこどもを育てるのは無償の愛。わたしはみんなを愛しているからその愛情でやっている。だから感謝の手紙しかこないが、感謝してもらいたいのではなく、サイコマジックによってどのように行動が変わったか、考えが変わったかを知りたい。だからこれまで抗議の手紙は受け取ったことがない。

Q:家族の問題で悩んでいる人が多く、何世代にもわたって同じ問題が繰り返されているが、家族、親子の呪縛は解けないのか?

問題というのは家族、社会、歴史、文化というふうにひとつずつ大きくなっていくもの。なぜつねに家族の問題になるかというと、みんな過去に生きている、記憶をもとに生きているから。いま話をしているこの現実も5分後には過去になる。つまりわたしは何者かという問題は過去にある。その過去の記憶を植えつけてくるのはまず家族。過去の記憶のなかにある社会の問題、歴史の問題、国の問題、それらすべてを記憶としてわたしたちにもたらすのが家族だから、家族の問題になる。サイコマジックで何をやりたいかというと、その記憶が家族だけの記憶ではなく人類全体の、みんなの記憶になって、健康な地球全体の記憶になれば、小さな問題はもっと解決されやすくなると思う。

そういう意味で今のコロナウイルスは惑星の反応であって、惑星からみればわたしたちがウイルス。なぜなら自然の法則に逆らって生きているから。だからサイコマジックによってみんなはひとつ、植物も鉱物も動物も太陽も含めてわたしたち全体がひとつにつながっているのだというふうに人類がなるべきだと思う。なぜかというと惑星が病んでいれば太陽系も病み、さらに銀河も病み、宇宙全体が病んでしまうから。そこから自分たちを解放するには過去の記憶を小さなところに収めずに人類全体の、みんなのものとして抱えながら前に進んでいく必要がある。

Q:「自分の殻を破り世界の痛みのなかに入っていった」という言葉が心に刺さった。カウンセリングに失敗したらという恐怖はない?

今はみんな自分のエゴに閉じこもって生きている。人類が連帯するということがわかれば愛情こそが唯一の幸せだとわかる。誰を愛するとかではなく、人類全体として動物も植物もウイルスも抗体も生きとし生けるものすべてを全体として愛するということ。そうすれば世界中にある痛みのなかに入っていっても、愛情を持てれば問題なく入っていける。日本語でいう“悟り”、みんなが今苦しんだり失敗を怖がったりするのはエゴのなかに閉じこもっているからで、“悟り”によって自分を開いて自分が透明になって、自分自分という感覚がなくなればなくなるほど意識と無意識はどんどん広がっていく。そうなれば失敗は失敗ではなくいろんなことを試せるようになる。世界の問題すべてを解決できないとしても、人を癒す、世界を癒すことに挑戦できる。

Q:過去のネガティブなできごとは既存のカウンセリングやセラピーでしか癒せないと思い込んでいたが、自分なりに儀式や体を使って表現することでセラピーができるかもしれないと気づいた。自分自身でサイコセラピーをすることについての見解は?

サイコマジックを自分に施すことは可能だが、その前になぜ自分が苦しいのかを知らなければ何をしていいのかわからない。人間はエゴに包まれているから自分ではそこから出られない。だから人の助けを借りなければ、まずなぜ苦しいのかがわかるところまでたどり着くのが難しい。だから人を受け入れること、誰かの助言を受け入れてともに変わろうとしなければ、自分ひとりでやっていてもエゴが邪魔をして、おそらく変わらないために戦うことになってしまう。したがってできるだけ誰かの助言やサポートを受けたほうがよい。そこは言葉だけでは開けないので、本質的な自分、エゴではない人間としての本質的な部分をまず見つけなければならない。

わたしがなぜ日本が大好きかというと、それを教えてくれたのが日本だから。わたしの名前のホドのド(ウ)は道(どう)。日本には道場がある。空手道、剣道などがあり、すべてが道に通じる。道場は聖なる場所。わたしはそこで自分が何者でもないことを知らされた。ルールに従って自分をなくし、自分がいかに小さなものかがわかったことで自分が変化し相手を受け入れられるようになった。もう91歳、ここまで生きてきたら勝ったも同然だが、この惑星でいま何が起きているか? みんなマスクをしている。ということは空気が汚染されている? わたしたちは毒のなかで生きているのか? わたしはもう年老いたからこの状況を変えることができないけれど、なるべく癒すことはしていきたい。残された少ない時間で悪あがきと言われても映画を通して何かを変えていきたい。

Q:映画をインターネットで観るのと劇場で観るのとではサイコマジックの効用に違いがある? 監督にとって映画館とは?

どちらで観ても同じ。配信なら画面は小さく映画館なら大きいが、メッセージは同じ。重要なのは観た人が理解するかどうか。映画監督として美的感覚には気を配っているがサイコマジックのすべてを映画で表現することはできない。この作品では精神分析とサイコマジックは違うということ、どんな違いがあるかを描きたかったが、映画は目と耳で感じるだけ。サイコマジックは行動であり、そのなかでのさまざまな気づき、目に見えない動きがある。そこがいちばんの違い。

それから万人のためのものではないということ。コロナウイルス のワクチンは全員に効くものが探されているが、サイコマジックでは全員に効くものはない。それぞれ個人的なものでひとりひとり異なる。だからわたしはいつも息子、父、祖父のように家庭の精神構造をまず理解して、そこから無意識に向かって働きかけるようにしている。要するに知性をすっ飛ばしている。わたしにとって病は池のように滞った状態。健康とは川のようにつねに流れていてつねに変化している状態だと思う。精神分析は話し続けながらずっと同じところに滞っているけど、サイコマジックはつねに動いていてつねに変わっていく。それを描きたかった。

映画をなぜ作るのか。映画は商売として始まったが、そのうちアーティストや詩人がそれを使って表現をするようになった。それは芸術だと思う。稼ぎや成果を考えずに、作品への愛だけで作るようになったから。お金を払って楽しむだけに映画を観る人もいるけどそれはショービジネス。わたしがやりたいのは人類を癒し、健康にすること。なぜなら人類とはすばらしいものだということを描きたいから。暴力や戦争、銃の撃ち合いなどがよく映画に出てくるが、人間とはそんなものではなく人類はもっとすばらしい。わたしたちのなかではつねに数えきれないほどの細胞がつねに生まれ変わりつつあるのだから。わたしたちは意識の産物であるが、今なぜものを作るのかと考えたら太陽系を健康にするということ、それが使命だと思う。なぜなら、わたしたちはつねに例えば重力のような自然の法則にさらされていてもそのことに気づかないし、そのような法則に従わざるをえないということを忘れがちだから。

Q:コロナ禍においてひとりひとりに力を与え、わたしたちをつなげるサイコマジックはある?

それはおそらく可能だが、その前に、先ほど話したように、人類全体がつながっている、ひとりはみんな、みんなはひとり、すべてはつながっているということを共通意識として持たなければ難しい。いま必要なのは自然に還ること。人類は自然よりも偉い、人類が主体だと思われているが、人類は自然の一部なのだから、まずそこに立ち戻らなければならない。

世間ではウイルスとの戦争だとかワクチンが必要とか言っているが、ワクチンのことでみんなが血眼になって競争しているのは金儲けのためじゃないのか。ワクチンを売るためにみんなが病気になってほしいと製薬会社は思っているのではないか。だからわたしたちが今すべきは自然な防御、つまり免疫をつけるとか健康でいること。それにオイルマネーはもういらない。石油も自動車も飛行機ももういらないのでは? 肉も食べなくていい。そうやって太陽系を健康にすること。

わたしは91歳だけど周りの芸術家はみんな死んだ。アルコールもドラッグもやめられなかったから。人間性というか、そういうことを感じないまま死んでいった。でも、わたしはまだ生きている。病気になるのではなく健康に平和に暮らす。人類はすばらしいもので、それができるのだと自分たちが気づかなければならない。みんながしているマスクもポイ捨てしたら海で魚が食べて人間は刺身が食べられなくなる。そのようにすべてがつながっているということ。

わたしは以前、アマゾンの熱帯雨林が燃やされたとき、みんなでソーシャルサイコマジックをやった。アマゾンの熱帯雨林は地球の肺。二酸化炭素を吸って酸素を出す肺。金儲けに走る企業がそれをどんどん燃やしていったとき、わたしはみんなに呼びかけた。何百万人もの人々に、どこへでもいいから木を1本、木が難しければ植物をひとつ植えましょう、と。今みんなで植えれば、小さなそれらがどんどん育っていく。それが集団で行うサイコマジック。あんなに大きな熱帯雨林が焼かれたとしても何百万人もの人たちが1本ずつどこかに木を植えれば地球全体としての肺の機能は守られる。だからそうした。

今みんなが口にするシステムとか体制というのはぜんぶ人間が作り上げた幻想であって実在しない。もっと本来の自分たち、自然の一部として自分を捉えるようになってほしい。そうしなければ、競ってワクチンを作って儲けるといったように、このパンデミックが利用されるだけ。貧困問題もみんなが自分で土地を耕し収穫して食べていれば起きなかったはず。だから今の政治というのはみんな現実だと思い込んでいるけど幻想であると認識すること。

今回のコロナウイルスで得た教訓として、わたしたちが3ヶ月家から出ずに過ごした結果、パリはどうなったか? 空気が澄んで鳥がさえずり木々が青々としている。人間がいないだけでこんなにのびのびするのかというくらい美しい街になった。だからコロナウイルス 自体がサイコマジックだったと思っている。それによってみんなの行動が変わったのだから。これが自然のサイコマジック。せっかくだからこれを機にみんなが太陽系の大切さに気づいてほしい。

(ここでサイコマジックをやろうとするが勘違いでできず、妻のパスカルを隣に座らせて話し出す)

彼女(パスカル)とわたしは男と女、陰と陽、互いに平等であり補完的な関係だけど、日本では女性がいつも引いていて家に閉じこもっている感じがある。新型コロナと同じように、マチズモ、男性至上主義の問題も、それが変わって一対一の平等な関係になるまで社会問題はおさまらない。

Q:次回作について。

いくつもプロジェクトがあるが今は撮影できないのでどうなるかわからない。『エンドレス・ポエトリー』の次はメキシコで日本人の高田(慧穣)先生に出会ったところを撮りたかったがいつできるかわからない。もう91歳だからどうなるかわからないけどできるだけやれることをやるつもり。

Q:ポストパンデミックなる世の中の芸術の使命とは?

アートにはふたつの側面がつねにある。理由と結果、光と影など、その両方を表現するのがアートだと思う。みんなが不安で暗くなっているときにそこから光を生み出すのがアート。ポストパンデミックのアートはそうあるべき。というのも今のアートと言われるものはあまりにも近視眼的。30年、40年先を見据えて何が必要か、何を作るのか、何が社会を幸せにするのかを考えるのがアート。そういうことを考える人やそういうアートはたぶんあまりお金も儲からないし見てもらえない。なぜなら理解されないから。わたしの『ホーリーマウンテン』は理解されるまでに30年かかった。そのときは誰にもわからないかもしれないが、30年、40年後に理解されるようなことを目指すのがアートだと思う。今のこどもたちの教育とか社会的なことにももっと関心をもってそういうことをどうするのか、人類はどうなっていくのかというようなことまで考えながら作るべき。そういう意味でサイコマジックも行動を変えるという点で役に立つと思う。日本人のサイコマジックとしては悪いことをしたら指を落とすというのがある。そこから変わるのだからそれは大きなサイコマジック。

あと出産が災害や病気と同じにされてはいけない。人が生まれるのはすばらしいことなのに病気扱いだったり怖がられたり必ず病院でするというのも、これから変わってくるのではないか。なぜなら本当は世界も人類もすばらしいのにメディアや政治家が怖いぞ怖いぞと煽って怖がらせているから、人生は怖くない、世界は、人生は恐ろしいものではない、世界はすばらしいんだということを表現していくのがアートだと思う。

※ 自分のスペイン語力は限定的なため、通訳さんの発言をもとに、完全な文字起こしではなく要約したものです。間違いがあればコメントでご指摘いただければ修正します。

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