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エルバ島の月、太陽、また月。

※この記事は雑誌「1番近いイタリア」の巻頭エッセイからの抜粋です。

何ヶ月前のことだっただろう。お誕生日の前後の5日間は予定を開けておいてねと言われたのは。どこに行くかはシークレットで旅行を計画しているからと。海に行くから水着を持ってとだけ指示を受け、荷物は最小限にしてバイクで旅に出た。と思ったら、車庫の鍵を閉めたか思い出せないと、来た道を戻る。なんだか小さい頃、私の父が遠出をする時に度々同じことで引き返していたのを思い出した。後部座席に乗った私たちは、もう「出発進行ナスのおしんこう」と唱えた後だったのに。ガレージはしっかり閉められていたのを確認して、再びスピードに乗る。ボローニャを出るとすぐ山のカーブを繰り返し、フィレンツェ、ピサと標識に従っていく。南下していることだけは分かりながら、休憩のたびにここかと行き先を聞いてみるも、濁される。リヴォルノさえ越え、グロッセートの標識が見え、このままでは「全ての道はローマに続く」も冗談でなくなってしまうと思い始めたところで、高速を降りた。ただ広い平地にオリーブが広がり、その先に海が見える。角を曲がると小さな町に入り、バイクが止まった。今日はここで一泊と。予約してあったアパートに荷物を置くと、とりあえず町に出た。

海に突き出るように構えた小さな町は、建物の作りも、海辺の砦から見下ろす埠頭も、見るからに港町なのに、中心部に着くと突如おしゃれなレストランが並び、石畳の通りが明るい。女性は白いワンピースに身を包み、男性は白いパンツにシャツをきめた観光客が、楽しそうな笑顔を浮かべながら、ワインを傾け、食事を頬張っていた。私たちもすっかり空気に飲まれ、リゾート気分に切り替わっていく。私はもう一度尋ねた。エルバ島に行くのでしょう。だって、町のあちこちに「エルバ島」の文字、道には標識が見えるもの。その通りだよ、と。この町はイタリア本土からエルバ島に行くフェリーの出る玄関町なのだと。そうか、私がずっと前にGoogleマップの保存マークを見ながら、いつか行きたい所なのだと話していたのだっけ。現実になりつつある今に、心が浮かれた。誰もが一度は憧れる夢の島と、昔ながらの漁村。その境界を彷徨う私たちは、海の幸は明日からに取っておくことにして、地元の人で賑わう老舗のピッツェリアに入った。

夕食を終えた私たちが海辺の砦に戻ってくると、日が暮れたばかりの海の上に、低く、大きな月が登っていく所だった。穏やかな海の波が耳に届き、風は優しい。薄い月夜に照らされた海の先に島がぼんやりと見え、明日はあの島に渡るのだと告げられる。そんな私たちを待っていたかのように雲がさーっとひいて、姿を現したまんまるの月は、とても、とても綺麗だった。月の光に照らされるほどに島の影は大きく、しかし、海のもやで霞んで全ては見えない。興奮冷めやらぬまま、眠りについた。

翌朝、太陽が眩しい。天気晴朗、波はなく、ゆっくりと波を切る船に揺られ、島へと渡っていった。

島のお腹の部分まで入り込むようにしてフェリーが着いた。タラップを降り、地面に足をつけると、そこは、エルバ島だった。二人の歩調が弾み、手がいつもより大きく前後に揺れる。少し歩いた先の海沿いの最後の一軒のお店に入る。お店の中からさっき着いた港が見え、ドアの額縁でまるで切り取られた絵のようだった。白ワインで乾杯しながら料理を待つ。海の風が入る。私はクラシックな獲れたてイワシのトマトソースパスタ、彼は少し変わったムール貝とカステルマーニョチーズのパスタ、その後はメイン料理に地魚のフリットを。全ての料理が素晴らしく、美味しいねと心から出た声で、それはもう、幸せいっぱいに目を合わせる。太陽が高くのぼる。私たちのバカンスが始まった。

さっそくに島を移動して海へ。砂浜へ続く崖を下りながら、見下ろすと陽の光を受け、エメラルドの海が輝いていた。底までくっきりと見える。シーズンのはじまりで人はまばらで、フレッシュな海を私たちが独り占めするようだった。水の冷たさに声を上げながら、カラフルな魚と一緒に水をかいた。早くも日焼けした顔でホテルにチェックインすると、頂いたウェルカムドリンクで乾杯し、貸切ジャグジーで体を癒した。温かい泡が身体中を包み、海の向こうの水平線に傾いた陽の細い光が輝きを添える。岬の岩の上から夕日を見送ると、グラデーションに染まる空が広がっていた。

次の日も、その次の日も、日が昇ると色んな海へ行った。徐々にプリントしていた島の地図がボロボロになっていった。そして、いよいよお誕生日の前夜。夕日を見に、あの岩の岬へ。これが20代で見る最後の太陽かと思うと、色々なことが走馬灯のように走り、ポロポロ涙が出てきた。頑張ればどんな夢も叶えられること、人生は楽しむものであること、人の優しさに生かされていることを知った29年だった。

日が暮れて、お腹が空いた私たちは、海沿いのレストランで、魚介のピッツァとエルバ島のピッツァとクラフトビールをテイクアウトして、ビーチを歩くことにした。誰もいない海辺は月光に照らされ、ただただ波の音が聞こえて、上を見れば満点の星空で。ありがとう、私の20代。生まれてきて本当に良かった。産み、育ててくれた両親、家族ありがとう。二人で歩む人生の楽しさを教えてくれた隣のアレッサンドロ、ありがとう。神様、この美しい人生をありがとう。そして、0時00分、私の30代は幕を開けた。

お誕生日当日は、やっぱり海に行った。この海がまたワイルドで、誰もいない秘境の海に、持参のテントで巣を作るのがまた私たちらしい。お昼は予約していてくれた山側のレストランで、リグーリアとサルデーニャのフュージョンが成す食事。また別の海で昼寝をして、ジャグジーで癒されて、夕日の見えるレストランへ。目の前で暮れていく夕日に目を細めながら、ゆっくりとワインを傾ける。ミントと唐辛子の効いたムール貝のワイン蒸し、ペコリーノソースで合わせたタコのグリル、カニのソースの手打ちパスタ。目を合わせて美味しいと笑う。こうして、30代最初の太陽は沈んでいった。いつも、これからも、ずっとこうして笑っていたいと願いながら。

よく日焼けして、楽しさの余韻を残す顔でフェリーを降り、陸に足をつける。ふと振り返ると、陸に渡してた足場が上がり、船の大きな扉が閉まるところだった。その瞬間、夢のような島の時間に終わりが来たことが否応なく知らされ、当たり前の少しの寂しさと、全身を包む思い出の温かさが心を満たす。前を向くと長く続く一本道に夕陽がさす。この道を帰ることに、そしてこの道の先にある未来に、どこかワクワクする自分がいて、その事実が素直に嬉しかった。

バイクにまたがる。雲に隠れまいと橙色の光を放つ太陽は、見覚えのあるオリーブが広がる平原の向こうの海に、あっという間に吸い込まれていった。5日前と同じ道を走る。今日は夕日を左側に見ながら。そして、今日は歳を1つ重ねた私が。5日前と確かに同じ道で、でも不思議なくらい、たった5日前が遠い過去に思えるくらい景色が違って見えた。長い道のりの先が楽しみで、ぎゅっと大きな背中に手を回した。柔らかい温もりを感じながら、後ろに月が高く上がるのを見届けて、たしかに前に進む風を感じていた。


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