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この世界の真ん中で(「1番近いイタリア」2025冬号の巻頭エッセイ)

真夏の太陽は、昼間照りつくような炎であったことを忘れさせるかのように、淡く柔らかい夕陽となって空の向こうに沈んでいった。残り陽が描いたオレンジと青のグラデーションが、一刻、一刻と紺に染まっていくと、ふっと夜風が吹き抜ける。ここは、ヴェローナのローマ劇場。2000年前の遺跡で、今、野外オペラが始まろうとしている。

前触れもなくオーケストラがプーと試しの音出しを始め、ゴーンという太いドラムが鳴ると、円形の劇場にこだましていた人々の声がハッと途切れ、こだまだけが徐々に小さくなり、会場に静寂が訪れる。夜の訪れを告げるかのように漆黒に近づく空を背景に、舞台がパッと光で照らされる。その瞬間、視界の下で指揮棒がすっと振られたのが見えると、楽器が勢いよく鳴らされる。聞き覚えのある音楽が耳に届く。紛れもなく、大好きな「カルメン」の序曲だった。オーケストラは体をゆすりながら音色を響かせ、ダンサーは靴で音を鳴らしながら華やかにスカートをゆらし、そこにオペラ歌手たちが感情を全身で表現して歌を乗せる。私たちは息を惜しむように見守る。自然に揃った動き、でも、1人1人が1人1人で、主人公だった。それぞれのたゆみない努力が、彼らをこの場に立たせていた。このステージは、世界の真ん中だった。

次の日、ヴェローナの町歩きをした。この町を訪れたのは4回目くらいだろうか。真夏に訪れたのは初めてで、暑くて観光も一苦労だった。喉を潤そうと通りのお店に入り、ビールを注文する。クーラーの効いた店内でビールを片手に、ガラス張りの店内の窓際のテーブルに陣取り、通りを歩く人をぼーっと眺めていた。体を支え合うように歩くお年寄り、ベビーカーをゆっくりと押す夫婦、手を握って楽しそうに歩くカップル。「Città d’amore(愛の町)」といわれるヴェローナは、その名の通りで、ロミオとジュリオの舞台になったのも納得がいく。眺めては過ぎていく彼らに「自分たちが物語の主人公で、世界の中心を歩いているんだ」って言われているような気がした。キュッと握る手を強めて、目を合わせてニコッと微笑んで、私たちもボローニャに帰ってきた。

あれから季節は180度巡り、12月1日。冬空に太陽が輝く朝。私たちはボローニャの中心、マジョーレ広場に降り立つ。今日は、一生に一度、特別な姿で。歩みを進める一挙一動に人々の視線が集まる。高鳴る胸を抑えながら、一歩一歩、進む。互いの姿を見つけると、その瞬間、時が止まった。世界から音が消えた。胸に花を付け、シルバーのチョッキと蝶ネクタイをした花婿に、一直線で駆け寄った。なんとも言えない顔、愛の滲んだ声で「綺麗だ」とささやくのが耳に届く。その瞬間、周りの声が戻り、時間がまた動き出した。しっかりと手を繋いで、誓いの場所に上っていく。家族、友人に囲まれ、広場中の大勢の人の祝福を受けながら。そう、今日は私たちが主人公なのだ。このマジョーレ広場が世界の真ん中なのだ。

挙式を行う市庁舎は、中世から続く歴史建造物で、美しいフレスコ画とシャンデリアの下で、誓いを交わした。息を飲むみんなの視線を360度に感じながら、はっきりと目を見て誓い合い、唇を重ねた。温かい拍手は、永遠に続くかに思われた。バルコニーに出ると、マジョーレ広場が一望できた。その景色は、実に平和で日常的なものだったが、一生に一度しか見られないと思うと、なんとも言えない感慨が込み上げてくる。

写真撮影を終え、皆んなより遅れて2人で降りていくと、出口で痛いほどライスシャワーを浴びる。泡を噴き上げたプロセッコで乾杯すると、再び手を繋いで広場に出ていく。今度は左手の薬指に金色に光る指輪をはめて。家族、友人、たまたま居合わせた名前も知らない人々までが輪を作り、私たちを祝福する。青空の下、広場の中心でくるっと一回転してみたりする。長いドレスがふわっと舞い、再び目が合う位置に戻る頃に喝采が起こる。そう、人生の主人公は自分なのだ。自分が立つ、この場所こそが本当の世界の真ん中なのだ。

※この記事は「1番近いイタリア」2025冬号の巻頭エッセイからの抜粋です。

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