マリトッツォ・ブームから考える日本における食の流行。次のトレンドはビチェリンか
マリトッツォが一大ブームになっている。
スーパーに行けば〇〇パンが出したマリトッツォが’今週のオススメ’としてワゴンに並び、町を歩けばあらゆるカフェでオリジナルなマリトッツォが看板を飾る。’コンビニのマリトッツォ食べてみた’的なツイートもよく見るし、クックパッドでも’簡単!自宅でマリトッツォ’的なレシピが賑わいを見せる。
いったいどうなっているのか。
プーリア在住のイタリア人に話したら笑っていた。「マリトッツォ、あぁ聞いたことある。有名だよね」というが、食べたことあるのは2回か3回という。
イタリア人よりも日本人が食べているなんて。まぁ良くある現象だが、面白い。
ちなみに、マリトッツォは美味しい。
これは数年前にローマのバールで食べた時のだが、この時は名前さえ知らなかったけど、ものすごく気に入った。上質なミルクを使った軽い生クリームに、リッチすぎないブリオッシュ。
あまりに好きだったので、後に日本に帰ってきて調べたら、目黒のローマピッツァ&ジェラートの店にあると知った(ちなみに目黒はローマ料理の聖地だ)。当時近所だったから行ってみたものだ。
なぜマリトッツォが流行ったのか?
そろそろ本題に入ろう。
なぜ、マリトッツォがここまでブームになっているのか?
仮説①「萌え断(※)」の流れ?
※フルーツサンドのような断面の美しさ。
今やブームの火付け役の大役はインスタ映えが担うので、一理ある。
仮説②ふわふわクリームが日本人好み?
ショートケーキやロールケーキなど、日本人はふわふわデザートが好きだ。ケーキにこんなにふわふわが多いのは、日本くらいではないか。
仮説③日本特有のブーム現象
しかし、日本における流行の本質を見ると、このブームが違って見えるのではないか。
日本におけるブームは特異である、ということだ。
日本特有のブーム現象
良く「日本ではブームが起きやすい」という。
これは本当だと思う。
人を動かす時に、アメリカ人には「これやると儲かるよ」というと動き、イタリア人には「ママが喜ぶよ」というと動き、日本人には「みんなやってるよ」というと動く、という。
日本人は「みんなそうだから」に弱い。
例えば、「食後のお飲み物はコーヒーか紅茶かどちらにしますか」と聞かれたら、日本では誰かが「私はコーヒーを」というと、後の人も僕も私もコーヒーだ。
イタリアでは大変だ。「僕はエスプレッソにミルクの泡だけ載せてくれ」「2倍の濃いエスプレッソに氷をたっぷり入れてくれ」「砂糖は白ではなくブラウンで」と大変に注文が多い。マクドナルドがイタリア人相手には成り立たないわけだ。
だから、「〇〇が流行っている」といっても効き目ゼロだ。へえ〜僕は〇〇の方が好きだけどね、といった調子。
ところが、日本人は素直なので「〇〇が流行っている」というと、すぐに飛びついてブームが起きる。
マーケティング的にはよりイージーなのかしら、流れに乗れれば。
考えると、日本人のこの性質は明治維新の頃から変わらない。ということは、その土台を築いてきた江戸以前の歴史から変わらない。
開国と同時にあらゆる食文化が入り、ブームとなり、日本式に根付いて日本料理になった。すき焼き、カレーライス、コロッケ、とんかつ、、Etc
今でもこのスタイルは変わらない。チャーハン、ラーメン、餃子など中華はもちろん、最近では、多くの家庭でロコモコ、ガパオライス、パエリア、タコスなどが献立のルーティーン入りしている。
これは、すごいこと。
イタリアの家庭では、今でも日々の食卓にあがるのは、ほとんどマンマのパスタだ。巻き寿司なんてやる日には大騒ぎして、Whatsappでビデオを送ってくる。
対して、日本の家庭では、昨日はカレー、今日は肉じゃが、明日は餃子、明後日はパスタ、、Etc
日本には、幅広い食を受け入れ、新しいもの外のものを取り込む吸収力が凄い。そして、器用にローカライズして、美味しくしてしまう。凄い。
こう考えると、日本の食の流行で、マリトッツォが流行るのが良く理解できる。
諸刃の剣。ブームを危惧する理由
だけど、1つ危惧している。
食べ物そのものや背景に対する関心が薄いのではないか。
これだけ流行っているなら、マリトッツォを手に取る瞬間には、それがどんな食べ物なのか、なぜラツィオで食べられているのか、どんな習わしで生まれた食べ物なのか、背景を知っているのかと思えば、そうではない人々がほとんどだ。
この関心が無いから、ブームはブームなのだ。
しかし、とはいえ、「そんな、いちいち背景を知りにいくなんて面倒くさいウンチク野郎だ、私は暇じゃない」という人がほとんどだろう。私もそう思う。
だけど、食べ物は世界を広げる入口だと思う。
食べ物は世界を広げる入口。食がより豊かになる方法
私は、よく言えば食べ物への関心が強く、もっというとオタクなので、新しいものを食べる時にはその背景は聞いたり調べたりして大体わかってから食べる。50カ国も旅した末に、身についた辟易かもしれない(笑)。だから強要するつもりは毛頭ない。
ただ、1つだけ言いたいのは、「食べ物は世界を広げる入口。知ってから食べると、より食が豊かになるよ」というのが持論だ。
例えば、マリトッツォ。
マリトッツォ(Maritozzo) がマリート(Marito=夫)から妻、あるいは将来の妻に渡される郷土菓子であり、中には指輪が入っていたり、寝起きのベッドに持ってきてもらったりする、ロマンチックな郷土菓子であることを知ると、食べる時にうんと幸せになる。そうじゃない?
これで良いのかニッポン!
もう少し世界を広く見ると、消費者の関心の薄さゆえのブームに、企業が翻弄され、消耗戦になっている、というのが私の見方だ。
少し想像してみよう。
やれマリトッツォだ、といって、製品ラインを組む。ブームは1年で去る。すると、工場の生産ラインや、商品開発やパッケージや、店頭PRや、みんなどうなってしまうのだろう?
じゃあ次は?次も同じこと。
これでは消耗戦だ。
これに付いていける企業は必然的に大企業になる。(食品産業の巨大化→食の希薄化というのはまた今度どこかで)
つまらないし、SDGs時代に逆行しているし、何よりアイデンティティの揺らぎを引き起こす。
これで良いのかニッポン!
だからこうしようというのは、私のコンサルトしての仕事ではあるかもしれないが、ここで述べることではない。
しかし、私は日本におけるマリトッツォブームからその本質を見て、危機感を覚えている。
ずいぶん冷めてるな。イタリアのドルチェが盛り上がっている。イタリア料理家にとっては絶好の機会ではないか。単純に喜ばしい。
しかし、これで良いのかニッポン!
マリトッツォの次のブームは?
では、イタリア料理家の私に来た質問。来年のブームを予想するなら?
「ビチェリン」!
マリトッツォのブームを当てたので、その流れそのままに、ビチェリンを提案しておきました。
背景は、調べてみてね、宿題です♡
その理由は、ただ単に、「ダルゴナコーヒー+マリトッツォ」の発想(笑)
雑ですみません。日本の場合、ブームはブームなので。。。
食の楽しみを広げつつ、自分の軸を持って
人々が自分なりの楽しみ方で、どんどん食の楽しみを広げているのはすごく素敵なこと。これは世界稀に見る強みであり、立派に豊かさを広げる手段だと思う。
そして、それが「丁寧に」が広がることを願っている。そのために、私は活動しているのでもある。
マリトッツォの次のブーム予測を聞かれたので「ビチェリン!」と答えるだけの記事だったのに、長くなりました。
中小路葵