どんなちいさな思いつきもメモに残す理由
僕はよくメモを残す。最近はほとんどデジタルで。
その内容は多岐にわたる。読んだ本の感想、調べたことの記録、小説のネタ、思いついた思想や哲学。
その一部が、このエッセイの元になる。
そして、できる限りどんなちいさな思いつきでも書き残すことを意識している。
これにはふたつ理由がある。
ひとつ目は、「忘れるから」。
たとえどんなに、世界がひっくり返るような大きな思いつきでさえ、人はすぐ忘れる。
寝る直前に思い浮かんだのなら、翌朝には。
お風呂で思い浮かんだのなら、出る頃には。
だから、忘れないうちにメモに残す。
また、忘れることがわかっているから、必死に覚えていようとする。
これがまたかなりの精神力が必要なことで。他のことを考える余裕もなくなる。
だから、早いうちにメモに残す。
ふたつ目は、「忘れたことを惜しむから」。
思いついた内容は忘れてしまっても、「忘れてしまった」という事実は案外よく覚えている。
そんなとき、忘れたことを思いっきり悔やむ。そして惜しむ。
たとえどんなにしょうもないことであろうとも、とてつもなく大事なことを忘れてしまったように思えてしまう。
「逃した魚は大きい」というやつだ。
だから、たとえそれが二度と読み返さないメモになろうとも、書き残す。
書き残すだけで、この惜しむ気持ちはなくなるのだから。
以上の理由から、僕は、どんなことでもメモに残す。
少なくとも、そう心がけている。
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