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私がまぐれで就職した話し

私が住んでいた町は大阪の東部、生駒山の麓にある東大阪市でした。
東大阪市は、有名なスポットはラグビーの聖地と言われる花園ラグビー場がある町、下町ロケットで一躍有名になった町工場が多いところです。

私の自宅周辺にも沢山の町工場があり、幼少期の子供たちの遊び場は、町工場でもありました。

懐かしい話しですが、長く続いた日本の高度成長期、バブル経済が崩壊したのは、1990年代の初頭にバブル経済のピークは1980年代末で、その後の1990年(私が21歳大学3回生)から1991年(私が21歳大学4回生)にかけて、不動産価格の急落が始ってたので、私が大学を卒業して就職する時は、多くの企業では採用枠を絞っていたので、なかなか就職採用が困難な時代であり、中には内定を取り消される人も多かった時代です。

このままでは、ヤバい!就職浪人になると思った私は、最終面接で面接で自己アピールをするに思いきったことをしたのです。
それは、自己アピールの際に『この会社にとって、私と言う人財を採用されなければ、大きな損失になります。』と言ったら、面接官や面接会場にいた私の他の4名もかなり驚いていたことをたまに思い出しますね。

後々、採用されて入社した際に新入社員の合同研修の際に研修をして下さった、人事課長さんが『君は最終面接者の中で一番点数が低かったんだが、君のあのひと言が決めて採用になったんだよ』と言われて、強気発言ってたまには効果があるんだと思いましたね。
ですが、当時の私は本当に『この会社にとって、私と言う人財を採用されなければ、大きな損失になる。』と発言したのは、ハッタリでもなく根拠のない自信を思ったいたのは、若さですね。

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