専業主婦歴5年の駐在妻が アメリカで仕事を始めるまでにしたことすべて
はじめに
購読前の注意事項・筆者の基本情報
【この記事を読むのに向いていない人】
・日系企業への就職が視野に無い人 (米国ローカル企業への就職希望)
・フルタイムでしっかりとキャリアを築いていきたい人
・アメリカで就職活動する予定が一切ない人
【この記事を読むのに向いている人】
・アメリカで働いてみたいけれど何から始めたら良いか分からない人
・ワークライフバランスを保ちながら程よく働きたい人
・英語力や夫の勤務先の定める条件等、何かしらがネックで就活に
踏み出せていない人
・そもそも自分が仕事をしたいのか分からずに迷走している人
【筆者の基本情報】
・2021.12〜 夫の仕事のため NY駐在帯同
・ビザ:E2 (昨年E2Sにステータス変更)
・新卒で大手金融機関→専業主婦5年(4歳娘あり)
→2023.3〜アメリカ現地でパートタイムの仕事開始
・仕事:現地日系企業 (フルリモート、前職とは異業種)
章立ては大きく分けて以下の通りです
第一章 駐妻が陥るモヤモヤの原因を紐解く− 充足感がない理由は●●だった
第二章 『とりあえず働きたい』はダメ!就活の前に必ずすべきこと3つ
第三章 アメリカでの就職活動 全公開
渡米一年目、特に子供が学校に通い始めてからとういうものの、生産的ではない日々を過ごしていることにモヤモヤして苦しみ、自己肯定感が急低下。
そんな半年ほど前までの私は、『仕事を探そう』なんていう段階にすらなく…
それ以前に、『そもそも自分が今後何をしてどうなっていきたいか分からない』という、精神状態の全く良くない時期がしばらく続いていました。
今回のnoteは、そんなモヤモヤだった時期の自分が読めていたらな…と思う内容も意識して書いています。
現在自分が知っているアメリカ現地での就職活動に関する知識や、これまで辿ってきた思考などについても余すところなく書きました。
ご興味ある方はお読みいただけると幸いです。
今回こちらの記事は、個人情報の観点から有料記事にしています。
(私・夫の具体的な勤務先名は一切記載していませんが、勤務先の制度の内容などから推測がついてしまうおそれが十分にあるため)
金額設定に関してとても悩みましたが、
①かなり力を入れて執筆し(約18000文字)、私のプライベートの情報を含めて詳しめにシェアしていること
②安すぎる金額設定によって、不特定多数の方に家族の個人情報が行き届くリスクは避けたいこと
こちら2つの理由を踏まえ、かつ専業主婦の方にとってもハードルが高くならないようにと考慮させて頂きました。
(私自身も専業主婦期間が長く金銭感覚に関しては割とシビアなので、そういった主婦の方にも負担感が少ないようにしたつもりです。
お金儲け・荒稼ぎのためではなく、プライバシーの観点から有料設定にしていることをどうかご理解いただけたらと思います)
第一章の途中までは無料にしておりますので、そこまで読んでいただいて続きが気になった方は先へ進んでいただければと思います。
こちらの情報が必要としている方々へ届き、一人でも多くの方が前に進む一助となることを願っております。
前置きが長くなりましたが、それではここからが本編です。
第一章 駐妻が陥るモヤモヤの原因を紐解く− 充足感がない理由は●●だった
①駐妻になって陥ったアイデンティティロス
駐妻が陥りがちと言われるアイデンティティロス、私も見事に陥りました。
理由は自分の場合、以下の3つでした。
1.言語や文化の壁が原因で失敗ばかりしてしまう
『私は幼稚園児なのか?』と思うほど、渡米当初は失敗の連続、分からないことだらけでした。
日本にいたら当たり前に出来ていたスーパーでの買い物、郵便局、学校とのやり取りなど、全てが上手くいかなくて落ち込む日々。
海外勤務の夫を支えることが自分の役目なのに、戦力どころか足を引っ張っている『私の存在意義って何なんだろう』と落ち込んでばかり。
そんな状態が続いたので、当たり前に自己肯定感も下がっていきました…
2.四六時中一緒だった娘が週5日学校に行きはじめ、日中を持て余す
子供が産まれてから【専業主婦として育児に専念する】という選択をして、全力で駆け抜けた4年弱。
日本にいた頃は娘と24時間べったりだったので、自分時間も取れないほど育児に追われていたし、それが自分の使命だと思えていたんです。
しかしアメリカに来て2か月目。娘が毎日現地校に通い始めます。
急に出来た、毎日6時間もの平日の自由時間。
加えて娘の場合は学校への行き渋りも無く、新生活への移行があまりにスムーズだったのです…
親としては手がかからず助かる反面、完全に空の巣症候群に陥りました。
『娘のお世話=人生の全て』と言っても過言ではない生活を4年間も送ってきたので、急に自分の中でポッカリと穴が空いてしまいました。
一人の時間が出来たら毎日遊び呆けるぞと思っていたのに、自分はそう出来ない性格だとここに来て初めて気づきました。
寝そべってNetflixを観ようとしてもソワソワして全く楽しくない。
『何かしなきゃ』『このままじゃ何も成長せずただ歳をとってしまう…』
得体のしれない焦燥感に襲われてうまく自由時間を楽しめません。
しかも育児から解き放たれた上に、アメリカ時短家電(食洗器やルンバなど)の恩恵で家事からも解き放たれ、『え、私はこれから日中何をすれば良いの?』状態に陥ったのです。
③周りの方々が優秀で落ち込む
駐在員だけでなく、駐妻と呼ばれる方々も、私の周りでは本当に素晴らしい方が多いです。
高学歴・バリバリ働いていた方もいらっしゃれば、人格が大変優れた方、
何かしらのスキル・特技をお持ちの方…もう挙げたらキリがない。
一応名の知れた大学を出て、名の知れた大手金融機関に勤めていた私でしたが、これと言って誇れる趣味や特技もないし、人より秀でたものもない。
NYでの素晴らしい方々との出会いが嬉しい反面、自分が『進学校にいる落ちこぼれ』になったような気分で虚しくなることがありました。
『自分より優秀な人に囲まれているから自己肯定感が下がってしまうのかなぁ』なんて、ぼんやりと分析してはモヤモヤする日々から抜け出せずにいました。
②自分でしてきたはずの選択に隠れた『他人軸』
・出産後に専業主婦となったこと
・駐在妻として家庭で家族を支えること
これらは全部自分で選択して、歩んできた道だと思っていました。
でも今思い返せば、子供が産まれてからの私の選択には常に『隠れた他人軸』があったように思います。(他人=夫、娘、その他私に影響を与える人)
例えばこんなこと -
・夫は料理や家事が苦手だから、負担が大きくても私が全面的に請け負った方が家庭が上手く回るはずだ
・夫が『3歳神話』を信じていて、子供の近くにいることを望んでいるから、私は仕事を辞めて育児に全力を注ぐべきだ
・海外での夫の仕事が上手くいくように、不満があったとしてもある程度は抑えこんで家庭や子供のケアに徹するべきだ
基本的に『私がこう決断すれば家族・周りが上手くいくだろう』といった観点で物を見ていて、『私自身は本当はこうしたい!こうなりたい!』という思考は、気づかぬ間に私の脳みそから消えていました。
(駐在妻に限らず、どうしても周りに合わせて動くことの多い母親にはよく起こることかもしれません。)
育児は楽しいし、夫が仕事を頑張ってくれるお陰で貴重なNY生活ができて、ありがたいことに金銭面で大きく苦労することもない。
― でもたまに、どこか心の奥にポッカリ穴が開いたような、上手く説明のつかない気持ちになってしまうことがありました。
日本に居た時や渡米した当初は24時間育児に毎日必死だったし、『忙しくて疲れているのかな、私』『ワーママだったらもっと大変。こうして家にいれることに感謝すべき…』なんて自分に言い聞かせていました。
でも5年経った今振り返ると、他人軸を頼りに『自分を自分で勝手に抑え込んでいたのかもしれない』と思います。
自分なりの最善を考えて上記のような決断をしてきたつもりだったけれど、よくよく考えてみれば、夫の口から『子供が産まれたら働くな』とか『抜かりなく家事育児に専念しろ』なんてことは一度たりとも言われていません。
でも自分が勝手にそう思い込んで今までの選択をしてきた。
ずっと自分軸を持って生きていたら、違った道を選択していたかもしれないなぁなんて今になって思います
(過去は変えられないので後悔はしませんが…!)
最近読んだ『大人の「非認知能力」を鍛える25の質問(著者:ボーク重子)』という本に書かれていて印象に残った『他人軸の人生=クラゲの人生』という表現。
自分の意志がなく、プカプカと流されていくだけのクラゲのような人生。
この言葉を見たとき、駐在妻という受動的な立場にあっても、今後は
ずっと『自分軸』で人生を生きていきたいと強く確信しました
③何百回と聞かれて辛かった『日中何してるの?』という質問
駐妻になることが決まってから今現在に至るまで、私が何百回と投げかけられた質問
『日中何してるの?』
うん、分かる。手のかからない一人っ子が学校に行きだして、6時間も自由時間があったら当たり前にヒマだと思うよね。
これを聞いてきたのは日本にいる友達・家族、こちらで未就学児含む2人以上の子供を育てるママ友、国籍問わず現地のママ友etc. ほぼ全て(笑)
何度これを聞かれて言葉に詰まったことか。
相手に全く悪気がないことは分かっていたけれど、聞かれたときに
『●●をしてるよ』とサラッと答えられない自分が嫌で辛かった。
実はその頃インスタとYouTubeでのアメリカ情報発信に力を入れていて、
子供がいない日中は動画編集や投稿作成に明け暮れていたのだけど…
リアルな友人にはそのことを秘密にしていたし、当時はPR案件などの依頼もなかったから特にお金も生み出しておらず『私何のためにこんなことやってるんだろう』とふと冷静になることもありました。
それでも『何か人の役に立つこと・自分の成長に繋がることをしなくてはいけない』という焦燥にかられ、発信を続けていました。
この時はまさか、この経験から『点と点が線になる』とは思ってもいませんでした。
※こちらの話は第三章④にて詳しく書いています
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