借りパク奇譚(13)
3日後、私は初めてそのバイトをしました。そして結果、自分の時間が増えるという体験をしました。知人や面接官の女性の話は本当だったんです。
……すみません、今ここでは、仕事の内容がどんなものであったかは控えさせてください。ただそれは、私にとって決して負担を強いるものではありませんでした。またその時はそのバイトをすることに、その行為に、どんな意味があるのかはよくわかっていませんでした。
以後、私は何度となくその仕事をし、多くの時間を借りました。当時は必死でしたから、それが良いとか、悪いとか、仕組みは?とかそんなことは一切考えませんでした。いえ、考えないようにしていたんだと思います。やはりそれが普通ではないことはわかっていましたから。
ただある時、急に怖くなったんです。どういった仕組みでこんなことが可能なのか? 時間を返すのは、本当にずっと後でいいのか? いざ返すとなったら、利息が必要になるのではないか? 一度それらが気になり出すともうそれを考えないわけにはいきませんでした。
耐えられなくなった私はある時、思い切って担当者に質問してみました。担当者というのは、私が仕事をする上で、直接連絡を取っていた人のことです。仕事をする時はいつも、私がバイトに入れる日を担当者にメールで連絡し、担当者がバイトの場所や時間などを電話で伝えてくる、そんなスタイルだったんです。
質問した私に担当者は一度事務所に来るように言いました。その説明は事務所でするルールになっているのだと。また新宿のあの部屋へ行かなくてはならないのかと少し気が重かったのですが、やはり疑念を曖昧にするわけにもいかず、また、もう一度あの面接官の女性と会えるかもしれないという少しの期待があって、2日後私は事務所を訪ねました。
ところが約束の日、例の場所を訪ねるも、もうそこに事務所はありませんでした。からっぽになった事務所からは、「質問に答えることはできない、あなたの役目もここまで」そんな声が聞こえてくるようでした。私はビルを出て、一応担当者に電話をかけてみました。
おかけになった電話番号は────。
その徹底ぶりに驚きながら、私は悟りました。私はしてはいけない質問をしてしまったのだと。そのようにして私はバイトをクビになりました。そしてあのバイトが一体なんだったのか? それを知るすべを失ってしまったんです。
それから思い悩む日々が続きました。私はすでに多くの時間を借りていました。先方との雇用関係が終わったからといって、時間を返さなくて済むということはないだろうと。それでは時間を返すのは一体いつで、どんな形になのか? 内容が内容だけに、相談する相手もいませんでした。唯一それが可能であったバイトの紹介者の知人も、その頃には疎遠になっていて、連絡先を変えたのか連絡が取れなくなっていました。もしかしたらその件に関しても、先方が何かしら絡んでいたのかもしれませんが、それは不明です。結局、私はなすすべなく日々を過ごしていました。
ところがある時、不思議なことが起こりました。その日、私は友達の家に遊びに行く予定があり、電車を乗り継いで友達の家へ向かっていました。地下鉄のホームのベンチに座って電車を待っていた時です、突然誰かに声をかけられました。
「あんた、随分と人の時間をもらっているようだけど、何かあったのか?」
ギョッとして、体が一気に硬直しました。
おそるおそる声のした方に視線を向けると、席を3つ空けたベンチの端に座っていたおじいさんが物憂げな表情でじっと私を見ていました。
不思議な印象のおじいさんでした。どう説明したらいいのか、そのおじいさんの周りだけ時間の流れや空間の感じが明らかに違う、おじいさんだけが外界とは全く切りはなされた別の世界にいる、そんな感じがしたんです。
「あんたがどういう経緯で時間奪いをすることになったのか、教えてほしいのだけれど」
おじいさんはそう続けました。
私はあまりに動揺して、しばらく声を出すことができませんでした。ただ、この人は、この件に関して私の知らないことを知っている、私の話をわかってくれると思った私は声を震わせながら例のバイトについて、今抱えている悩みについて正直に話しました。
おじいさんは熱心に話を聞いてくれ、自分がそれについて知っている限りのことを教えてくれました。ただ、その内容は私にとって大変ショックなものでした。
おじいさんいわく、私がバイトを通して得てきた時間というのは、何もフッと沸いて出た時間ではなく、人から奪われた時間だというのです。そして私のバイトは、"その行為" はまさに人から時間を奪うための活動だったと。だから時間を借りるという表現は間違っていて、私は人から時間を奪ってきたのだと。さらに時間を奪われた側は、おそらく全くそのことに気付いておらず、無自覚のうちに時間を奪われていたと。時間を返すというけれど、奪った時間を相手に返す方法が本当に存在するのか、おじいさんとしては疑問であると。もし仮にそれが存在するとしても、それはかなり難しいことであろうと。私のバイト先は人から時間を奪いそれを売っている犯罪組織であり、私はずっとバイトを通して犯罪に加担していたのだと。
私は絶望しつつも、時間を奪ってしまったことに対して、自分に何かできることはないだろうかとおじいさんに聞きました。すると彼は、私の目の奥の一番深い部分をのぞき込むように、またじっと私を見つめた後「それを探し続けること、それが重要だな」とアドバイスをしてくれました。
おじいさんの話が本当かはわかりません。ただ、私は直感でそれが正しいと判断できました。
私は人の時間を奪ってきました。だから私もボンネさんと同じです。罪悪感から解放されたくて、何かできないか、ずっと模索しています。今日の「懺悔の門」に参加させていただいたのもそのためです。自分にできることを探し続ける中で、先週たまたまこちらのお寺を知ったんです。今日はここへ来れてよかったです。ずっと独りで抱えていたことを皆さんに聞いていただき、おかげさまで少し前へすすめそうです」
クロエの話はいったんそこで区切りを迎えた。
(14に続く)
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