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はじめてのMacintosh
私が初めて買ったMacintoshはPowerMac6100/60。
RISCのPowerPCプロセッサに移行したときに発売されたMacintoshだ。6月のWWDCでAppleシリコンのCPUへ移行する話があって、これもRISCのCPUなんで、またRISCになるんだ。。。なんて、ぼやっと思っていたところである。1994年発売ではあるが、私の手元に来たのはたしか1995年年明け、寒い冬だったと思う。すぐあとにPowerPC6100/66という周波数が1割アップしたシリーズが発売されたので、1995年だったと思う。
PowerMac6100
上位機種がPowerMac8100、中位機種PowerMac7100と一番性能が低い下位機種としてPowerMac6100の3機種が同時に発売された。性能が低かったけど、ピザボックス型の筐体で、ドライバなしに筐体を開けることができ、デザインとしては3機種の中では一番洗練されていて、とても好きなMacのうちの一つだ。ねじ止めしていない代わりに、蓋の爪で本体を噛んで留めるるのだが、これを無理に取ろうとして割れてしまうところは愛嬌だろう。後々、ジャンク品のPowerPC6100を何台か買って、筐体を壊してしまったこともなつかしい思い出だ。
小学生のときに手にしたMSXから始まり、PC−8801、PC9801と当時のパソコン好きがたどるパソコン歴をたどり、パソコンゲームに熱中した。大学浪人生時代に、先に現役で大学に通っていたMくんに学祭によばれ、そのMくんが所属していた生物部の展示物として、鳥の電子図鑑を見せてもらったのが、実際にMacintoshを触った最初の出会いだった。
HyperCard
1991年10月か11月だから、PowerBook140だったと思う。Mくんは、生物部の野鳥班で、週末は高尾山に登り、鳥の泣き声を録音したり、生息を観察していた。その、観察の結果がPowerBookの中で電子図鑑としてまとめられていた。1ページずつ移動すると色々な野鳥の写真が表示され、ボタンを押すと野鳥の泣き声がモノクロの小さい画面から飛び出してくる。当時、PC8801でプログラミングを少ししたことがあった私はMくんに尋ねたのだ。
私:「あの電子図鑑みたいなの、野鳥の写真が表示されてたり、ボタン押すと泣き声が鳴るけど、結構、作るのたいへんだったでしょ?どこかにお願いして作ってもらったの?」
M:「いや、あれHyperCardで作ったから、簡単だよ。大学で授業でMac触り始めたやつが、半月くらいで作ったよ。」
私:「え?半月であれ作れるの?よっぽど作った人がコンピュータのセンスよくないと作れないんじゃん?」
M:「HyperCardだから誰でも簡単に作れるよ。あれ、CD-ROMにして販売しようって話もあるんだよね。」
それを聞いて、私の中はとても驚いた。パソコンをあまり触ったことない人が、こんなに素晴らしいソフトを半月で作るって天才か?と心の中で思い、MacintoshのHyperCardと、名前を忘れないように心に刻んで家路につくのであった。もちろん、次の日からMacintosh、HyperCardのことを調べまくったのは言うまでもない。もっと早く出会いたかったと、心から思った。
Macintoshに恋して
調べれば調べるほど、Macintoshのことが好きになった。当時、頻発していた爆弾さえ愛しく?思えるほどに。。。自分ではMacintoshを持っていないのに、友人がパソコンを購入したいというと、秋葉原に連れて行って、頭の中にある知識を披露して、Macintoshを買わせる、Appleの非公認の回し者のようだった。そして、1995年春に念願のはじめての自分のMacintoshであるPowerPCを手にいれるのだが、また別の機会にお話ししたい。
1995年は何があった年かというと、Windows95が発売された年である。日本では1995年11月23日にWindows95が発売された。日本でのパソコンというと、CUI(キャラクタユーザーインターフェース)ベースのPC9801シリーズが多かった中、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)ベースのWindows95に、世の中が熱狂した。もちろん、Macintoshはそれより前からGUIベースではあったが、高価で一般の人が購入しやすいコンピューターではなかったのかもしれない。
パソコン通信
そんな中、PowerMac6100をいじりながら、テレビでWindows95の発売の状況を目にしながら、28800bpsのモデムで私はFirstClassというパソコン通信に熱中していた。パソコン通信というと、ニフティサーブというのが有名なのだが、Macのユーザーインターフェースに似た、インターフェースのFirstClassに親しみを持ち、夜中に友人たちと楽しんでいた。
当時はISDN回線でテレホーダイを使っていたという記憶があるが、少し曖昧な記憶かもしれない。夜中の11時から次の日の6時まで、月額固定料金で決まった電話番号に電話ができるサービスだ。FirstClassが接続先になっていたのではないだろうか?そしてその後、インターネットがだんだんと身近になっていく。
はじめてのインターネット
インターネットマガジンという、インターネット情報の雑誌があり、これを毎月購入して、インターネット接続したい!でも高い!とやりたい気持ちを抑えながら、毎月読んでいた。ベッコアメ・インターネット、リムネットが当時は有名で、でも高くて。。。たまたま地元に安い費用で接続できるプロバイダができたので、ここと契約することができた。もちろんテレホーダイ。
当時は、インターネットに接続しても、Googleもなければ、Yahooもない。だから、インターネットマガジンに載っているサイトのURLを打って、アクセスするということをやっていた。たぶん、いまでも覚えてるのは、ローリングストーンズのホームページ。モデムの付録CDに納められていたNCSA Mosaicというブラウザでアクセスしたのが懐かしい。
その後すぐ自分でもホームページを作ろう!と作ったのがNetscapeの時代。HTML2.0が使えるようになって、Netscape2.0くらいでフレームが使えるようになってすぐの頃だったと思うが、大好きなビートルズのアンケートを取れるサイトを作成した。アンケート・・・といっても、John、Paul、Ringo、Georgeのうち誰が好きか?とか一番好きな曲はなんですか?みたいな他愛のない質問だ。何人かアクセスしてくれて、アンケートにも答えてくれて、インターネットでこんなことができるんだ!と、とてもワクワクした記憶がある。
たぶん、これがきっかけて、インターネットの仕事につきたい!と思ったんだけど、そんなに簡単にはいかなかったのは内緒(笑)である。
そしてこれから
いまの世の中は、iPhoneでもなんでも、簡単にインターネットに接続できる。
インターネットに接続できること自体が楽しく、家の外でモバイル機器でメールがしたい!と切望していた頃から、約25年経って、もう生活に必要なインフラとして、当たり前のインターネットが我々の生活には存在する。いつもの日常も、仕事でも、インターネットがあることが当たり前だし、ないことのほうが想像つかないのではないだろうか?
はじめてのインターネットという企画をみて、何気なく書き始めたのだが、昔のことを調べながら、色々なことを思い出し、懐かしく思いながら書いたけど、これからもインターネットがどんな新しいことを生み出す役割を果たすのか、逆に楽しみになった。25年前、iPhoneを持って買い物ができることを想像できた人がどれくらいいただろうか?
いままでの25年のスピードは、これからの5年だろうか?10年だろうか?インターネットのおかげで、世の中のスピードが早くなっているのは間違いない。いま想像していることが、そんなことできるの?って空想のような話が、25年後でなく5年後にできる、と考えるとワクワクしないかい?
ノスタルジック感漂うおじさんの昔話にお付き合いいただきありがとうございました&失礼いたしました。。。
記憶に基づき書いてしまいましたので、事実と少し違う部分がありましたらスミマセンご指摘ください。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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