離れてみてわかる東京とは
この内容はまだ東京にいる時に下書きして今日まで3ヶ月以上、放置したものだ。
読み返してみて、そんなに違和感がなかったので細かいところは、推敲し修正したが概ねその下書きの通りであるので上げてみる。
自分でも意外だったのが東京から死ぬまで離れたくないと思っていたのに、実際そういう場面に遭遇してからはそうでもなかったということがわかったってことだ。
後付けで言ってるのではないが、確かにここ数年、東京に対して感動が少なくなってきているなと無意識に思うことがあった。
もっと端的にいうと東京に対して新たな発見が少なくなってきたことと、以前のように東京のどこどこに自分がいる、と言うだけでウキウキしたような高揚感があったのに、それがなくなってきたことだ。
東京に初めて住んだ時や2度目で単身赴任の最初の頃は、それはお上りさんのように、やれ渋谷だ、やれ表参道だ、やれ銀座だ、やれ中目黒だ、とその空間に自分が存在しているということだけで嬉しかったとのだ。
考えてみれば極め付けの田舎者だったのだ。
当たり前だが時を経ることでそのワクワク感がなくなってきた。
だから離れるとわかっても思うほど寂寞感がなかったのか。
極めて可能性は少ないしまた今の自分自身は全くそれを望んでいないが、潜在的な心理として3度目の東京赴任の機会があると思っているからなのか、自分でもわからない。
もっとも、東京で親しくお付き合いさせて頂いた同僚や友人、先輩後輩などと別れたことは本当に寂しかったがそれでもなぜか永遠の別れではないと感じているのかもしれない。
かと言って大阪に帰りたかったかと言えばそんなことは微塵もなかった。
建てた自宅に住みたいとは思っていたが、それはもっと先で良かった。
離れてみてわかる「東京」
から
何を感じ
何を(再)発見し
何ができるのか
何をしたいのか
何をしなければならないのか
関西勤務自体は本当に13年ぶりでそれも前回はわずか1年強だけの期間だった。
おそらく腰を据えて働くとなると、それこそ計算してみると26年ぶりか。
阪神•淡路大震災の翌年に離れてから以来だ。
13年前当時は宝塚の仁川に家族が住んでおり、そこから大阪の堺まで通っていた。
各々わずかな区間を乗り継ぎ、乗り継ぎで毎日片道4本の電車で通勤したものだ。
しかし大阪の主要都市(と言っても東京に比べたら数ヵ所だけだが)の梅田と難波を経由したので遊びには行きやすかった。
今度は天王寺までルートに入るので主要3都市を全て網羅し完璧?になりそう。
昨年からこちらへ赴任するまでの期間を除けば、ひと月に一度か二度、大阪の自宅に帰っていた。
その都度、大阪の友人たちと会っていたので、大阪の様子もよくわかっているつもりだ。
ただやはり住むのとは違うだろう。住んでみて通ってみて、
4度目となる「大阪」(実態は前回の兵庫県宝塚市を含めるので「関西」という方が正しいが)での暮らし
から
何を感じ何を(再)発見し何ができるのか何をしたいのか何をしなければならないのか
本当に楽しみだ。
と力強く書いて終わっている。
改めて3ヶ月経って、何を感じたのか?
ある意味毎日無我夢中でスケジュールを楽しくこなすことで精一杯すぎていまだによくわからない。
気がついたことはそう言っても東京では1人遊びも多かった。
しかしこちら大阪/京都では8割方、誰かと一緒にいる。
昨日の秘仏公開参拝など、1人で寺社仏閣を巡ったのは本当に久しぶりで、少しだけ懐かしい気分がした。
そう、東京では寺社仏閣巡りなどは1人ですることが大半だったのである。
さすがに第4波が猛威を奮っている中、これ以上、人と会うことや、そもそも外出することは避けなければならないが、とにかくお誘いが多いのだ。
そういう意味では経済的には困窮しかけているが、精神的には非常に安定させてくれていると言ってもいい。
東京では究極のおのぼりさんであったし、やはり地方出身者も多いので、それを受け入れる土壌があった。
大阪では同じ関西人であること、それが極めて普通であり、そんな関係性の中、少し暑苦しくも心地よい距離感が醸し出される。
以前も書いたかもしれないが、東京という街はあまりにも眩い光を放つがその影には漆黒の暗闇がある。
元気な時はいい。
その光を追いかければ良いのだから。
しかしそうでない時は冷たく感じるのだろう。
逆に大阪/関西は新緑が地面をまだら模様に木陰にするような柔らかい光を放つ。
影さえ心地よい。
敢えて言えばそんな感じかな。
もう少し時が経てばまた想いも変わるかもしれないが。