閑話〜小さな疑問①〜新大阪駅
大阪は三度(みたび)の「緊急事態宣言」も検討していると言う。
次回、それを発出するときは2度目のそれよりも強い措置をとると。
さすがにそろそろ飲みに行くのも遊びに行くのも少しは控えないとまずいかもしれない。
またリモートワークが再開されたことで日常もそんなにおもしろいものではなくなるだろう。
なので日記に書くようなネタもそうそうなくなってきた。
ということで短く今日は「閑話」
JR西日本の東海道線、大阪⇄京都を「新快速」で通う日々。
いまだにあの速達性、スピードには驚きを禁じ得ない。
しかし通い出した時から、当たり前と言えば当たり前なのだが、なんとなくしっくり来ないのが「新大阪駅」に停車することだ。
「大阪駅」と「新大阪駅」は隣の駅同士で駅間は約3㎞。
あれだけ速達性を重視している「新快速」のコンセプトからしたら「大阪駅」を出発してすぐ次の駅に停車するということが言葉では表すのが難しいがなにかしっくり来ないのだ。
新幹線に乗って「新大阪駅」で降り立った人がはまさか「新快速」で「京都駅」に向かわないだろう。
なぜなら向かうなら新幹線で「京都駅」で降りるだろうからである。
逆に神戸の「三ノ宮駅」(JRだけは三ノ宮、他は三宮)に行くにしても「新神戸駅」経由でいいだろう。
なのになぜ「新快速」が「新大阪駅」に停車する必要があるのかがよくわからないのだ。
それにそもそもなぜ新幹線は「大阪駅」ではなく「新大阪駅」なるものへ乗り入れているのか。
東海道新幹線では「新」のつく駅は「新横浜駅」「新富士駅」と「新大阪駅」の3つだけなのだ。
因みに山陽新幹線では「新神戸駅」「新倉敷駅」「新尾道駅」「新岩国駅」「新山口駅」「新下関駅」と多い。
ではなぜ「東京駅」や「京都駅」「名古屋駅」はもともとのターミナル駅に新幹線を引き入れられたのに「大阪駅」は無理だったのか。
当然ながらひとつは用地買収が進まず再開発が難しかったのだろう。
大阪は商人の街であり地権者が多く権利関係も複雑で戦後20年も経たない間にそれなりに開発も進んでしまったのではないか。
それとWikiでの受け売りだが、目から鱗だったのは、「淀川」を越えないといけないということがそれなりのネックだったようだ。
東海道新幹線開業時、西への延伸(山陽新幹線)は決定しており、そうなると今の在来線のように京都方面から淀川を越えて「大阪駅」まで来て、また「淀川」を越えて神戸の方に向かわなければならない。
これが相当ハードルが高かったようだ。
とにかく、戦後19年で東海道新幹線は東京オリンピックのために開業したのだ。
時間が全然なかったのも大きい。
ある意味、よくその期間で東海道新幹線だけでも開業できたなと思う。
長い時を経て「ウメキタ」と呼ばれる広大な土地を再開発している。
淀川越えの件は置いといたとしたら、そういう意味では、この用地を使って新幹線が入ってこれる余地はあったのかなとは思う。
そうしていたなら、経済の効率性は格段に良かったのだろう。
そしてそうなっていたなら「新快速」はさらに早く、おそらく「大阪駅」⇄「京都駅」は25分くらいで繋がっていたのではとも思う。
そんなに急いでどうするのだ、との声も聞こえそうだが。