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一昨日の日記の続き。
土曜日の朝、アテンド2日目のため再度、京都へ舞い戻った。
2度目の6日連続、京都への通いはさすがに疲れる。
だから出勤する時間よりは相当遅かった。
昼まで何も食わずに動こうかと思ったが京都に着くと、思いの外、空腹になっていたので、中途半端な時間ではあったが、遅い朝食を摂った。
一度は食ってみたかった「イノダコーヒー」の「京の朝食」だ。

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10時前と言うのにあまりにガッツリ食べてしまったため、ランチの予定をどうするか?遅めにするしかないか。
とにかく出たとこ勝負で色々と廻ってみようと京都駅のバス乗り場へ。
目指すはベタ中のベタな観光地「金閣」へ。
正式名称は鹿苑寺である。

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以前、来た時は4年前、完全な雪化粧をしていたので、それと比べれば趣きは少し柔らかい。

室町幕府三代将軍足利義満が室町にあった「花の御所」からこの北山へ実質的な御所(と言っても天皇のお住まいではなく自分の住まい)と中央官庁を移したのがここ「北山第」であった。
そしてそれらが全て取り壊され最後に残ったのがこの舎利殿で、それが寺となり鹿苑寺となったのだ。
ちなみに「金閣」というのは京童がつけた単なるニックネームだ。
その「金閣」には当時は空中回廊でしか行けないようだった。
まさしく池に浮かんでいたのである。
そしてそれは一層(1階)が「書院造」、二層(2階)が「武家造」、三層(3階)が「禅宗仏殿造」という極めて奇妙なつくりなのである。
そのまた上に「鳳凰」がある。
「鳳凰」がある建築物と言えば、ここ「金閣」と「銀閣」そして宇治平等院鳳凰堂くらいか、それくらい珍しいのである。
「書院造」は天皇家や公家を、「武家造」はその上に立つまさしく幕府を、「禅宗仏殿造」はすでに出家し明から日本国王と称された義満のことを現したのではないかと。そのうえでの「鳳凰」だ。
簡単にいえば「朝廷」より「武家/幕府」が「武家/幕府」を凌駕する存在として「義満」がいると言うことなのだろう。
そして「鳳凰」とは聖天子が現れると世に出るいう、想像上のめでたい鳥だそうだ。
その聖天子こそ、まさしく「義満」だと言いたいのだ。
「義満」に関しては相当数の書籍を私も読了したが、こんなに興味深い人物は日本史全般でもそうそういないだろう。
史上唯一「天皇になろうとした」とも言われている。
既に将軍職は息子の「義持」に譲っていたが、その「義持」よりも相当若い息子の「義嗣」を溺愛し、その「義嗣」を親王形式で元服させ自分自身を上皇となろうとした、皇位簒奪を図ったとも言われているのである。
実際には朝廷を実質的にも、そしてほぼ形式的にも完全に我が物としていたのである。
そもそも御所の横に相国寺を建て、そこに七重の大塔を建てたのである。
そんなものをそんなところに普通は建てない。
そのまま御所を真下に見下ろせるからである。
天皇を敬わないどころの話ではない。
やはり並外れた能力で南北朝の合一を成し遂げ、栄華を極めていたのであろう。
足利家の力が絶頂を迎えたように見えたその時に義満は突然死(暗殺された可能性が高い?)し、将軍家の力はいったんは衰退するのである。
ちなみに金閣の鹿苑寺も銀閣の慈照寺もこの相国寺の塔頭である。
その後、以前も書いたがその衰退を盛り返したのが親王にしようとしていた「義嗣」と同い年の義満の息子で私のペンネームとして使わせてもらっている六代将軍「義教」なのである。
そのことはここでは関係ないので置いておく。

次にベタに「銀閣」に行こうと思ったが「御室桜」が満開を迎えたと聞いて、御室の「仁和寺」へ。
ついでに書いておくと「銀閣」を建てたのは「義教」の息子の八代将軍「義政」だ。

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「仁和寺」は2019年11月に平成の大修理を終えた「観音堂」の特別内拝に来て以来。
その時は10年ぶりだったが今回は1年半ぶりだったので、なんとなくこの前、来たばかりの感じがする。
仁和寺も由緒あるお寺で歴史上、初めて「法皇」となった宇多法皇が住んでいたことで「御室御所」と呼ばれた。
もともとは天台宗だったが宇多法皇が真言宗に変えさせ今は真言宗御室派の総本山となっている。
その後、門跡はほぼ皇族で占めることになり門跡寺院の筆頭となったようだ。
宇多天皇はあの菅原道真を重用したがその後の政変で道真が太宰府へ左遷されるなど古代の中では激動の時代を過ごした天皇と言えるだろう。
その御室桜は見事だった。曇天ですらこの華やかさだ。
ここはあまりに人が多かったことと花粉が酷かったせいか、私自身、頭痛がし始めた。
この後は本当は「銀閣」「哲学の道」「南禅寺」と考えていたが頭痛が酷くなり、体調面で無理っぽくなった。
「南禅寺」では少し季節外れにはなったが「湯豆腐」を食したかったのでそれもそのコースを辿ると不可能になる。
よって嵐電と地下鉄で蹴上駅へ向かうことに。

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因みにこの京福電鉄、通称「嵐電」はあの江ノ島電鉄、通称「江ノ電」と提携している。
そしてこの駅の隣「宇多野」とそのまた隣駅「鳴滝」間が有名な桜のトンネルになるのである。

乗り継いで蹴上駅へ。
中途半端な時間だったから相当、人が少ない。
そのまま湯豆腐の店「順正」へ。

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かつて毎冬、家族でこの店には来ていた。
しかしもう6,7年はここに来ていない。
一回は3時間近く待たされたことがあった。
なのでドキドキして来てみたが拍子抜けするくらいあっさりと入店できた。
お昼のラストオーダー時間に近いということもあっただろうが、それでもびっくりするくらいガラガラであった。
いつもは最も安価なコースでたいがい満腹になるし朝も食い過ぎたのでそれにしようかとしたが、客人が次にいつ来れるかわからないとのことで最も高価なコース「月」にしてくれた。

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このコースなら湯葉がついてくる。
正直、湯葉がこんなに旨いと思ったことはない。
日本食というのはこんなに奥深いのかと改めて感じられた。
そして、そのまま南禅寺の水路閣へ。
青紅葉がもうきれいだ。

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予定より少し早かったが、この後に京都駅に行き、お開きにした。
ベタベタな京都観光をした2日間。
京都観光の定番中の定番コースかもしれない。
そろそろ知る人ぞ知る的な京都を廻ってみたい。
と言いつつ、オーダーはこういうパターンが多いのだろうな。

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室町義教 /『風の時代』の到来とともに流されたサラリーマンが再挑戦する葛藤を綴る
まだまだ未熟で、発信内容はブレブレのところもありますが、応援を無駄にしないように頑張ります‼️