「緊急事態宣言」や「まん延防止等重点措置」等々、飲食店への時短要請は断続的に1年以上続いている。
確かに目に見えず先行きが見通せなかった最初の「緊急事態宣言」下では誰もが身動きがとれなかった。
昨年は3月25日に田端へ飲みに行ってから、4月5月はたまの1人ランチ以外は外食をしなかった。
しかもその2ヶ月は一度、短時間だけ吉祥寺(武蔵野市)へ行った以外は会社と自宅の往復だけで東京23区から一歩も出なかった。
それを解禁したのは6月に入ってから。
夏に向かっていく中で人々の間には完全ではないもののコロナ禍は「終息」したかのような錯覚に陥っていったように思う。
そして秋を迎えたあたりでまたもや第二波、第三波が襲い、飲食店への時短要請が。
しかし前回と違い、そもそも「食べに」「飲みに」行くこと自体に最初の「罪悪感」は薄れ、少人数で短時間なら良いだろう、という感覚になっていった。
少なくとも私は。
なので、それ以降は2人で、ないしは3人で、という機会は増えていった。
しかしそうは言ってもリモートワークの比率も増えていったので、会社帰りというシチュエーションが減る中でそうそう機会もあったわけではないが。
そしてそうなると、重宝?するのが以前にも書いたが「昼呑み」かつ「梯子酒」なのである。
昔は休日は朝から飲んだとか、昼から飲んだとか、いう話しを聞いてもちっとも羨ましいとも、ましてやそれをしたいとも思わなかった。
当時の私の固定観念として飲むならやはり夜だったし、そもそも酒自体、そんなに好きでも強くもなかった。
しかし数年前、都合がつかない友人とスケジュールを合わすために昼から飲んだことが始まりなのか、それとも、そう言う昼呑み自体が普通の場所に行きたかったのが始まりなのか、よく憶えてないが、一度、そんなことをしてからは、それが徐々に頻度が上がってきたと言うのが実態だ。
ひょっとしたら横浜の桜木町「野毛」で梯子したのが最初だったのかも?
その後「上野」であったり「浅草」であったりとかしたわけだが、昨年くらいからは「吉祥寺」で毎月恒例のような休日昼呑みをするようになってきた。
大阪に帰ったからは「福島」や「天王寺」先日の「天満」で、そしてついに先般の日記にも書いたが平日に休みを取って京都「四条河原町」裏寺町通あたりで呑んだのだ。
いまだに平日昼呑みはそれ1回だけだが、今度はその時短営業の煽りで平日の夕方呑みは、ということになりだした。
コアタイムなし完全フレックス制の会社のなせる技だろう。
木曜16時スタートで飲みましょうと直前にお誘いを受け、1人が遅れたのでまずは2人で京都駅近くのアイリッシュパブ形式の店へ。
その後、もう1人が合流し、タクシーで四条河原町へ。
そして私が行きたかった店へ。
3軒目は歩いて高瀬川沿いの立ち飲み屋へ。
ここのマスター?がすごく弄りがいがあって面白い!
それに私の体質なのか立ち飲みの方が酒が進む。
3軒目に来た時はまだ陽が沈み切っていなかったが、流石に夜も更けてきた。と言ってもまだ宵の口だが。
私はここで離脱し、帰路へ。
あとの2人はまたもや裏寺町通へ消えていった。
高瀬川は本当に美しい。
東京、沖縄、そしてここ京都にも「まん延防止等重点措置」の適用が決まった。
ますます今後、昼呑みやこうした「夕呑み」のニーズが高まるだろうし、飲食店も対応していくだろう。
「ニューノーマル」の一つとして、これは定着して欲しい。
「働き方改革」は「働く場所」を問わず「働く時間」も問わなくなる。
コロナ禍終息後も私は夜まで働いて夜から遅くまで飲むなんてことは基本的にはもうしたくない。
こういう「変化」になんらかのビジネスチャンスが転がっていそうだが、単に飲んで知らない人と話したいだけかもな。