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振り返り#サバイバル日記inベトナム25

2020年もあと数日になりました。

先日、自身で開催している日越交流会の忘年会としてイベントを行いました。イベントと言っても、10人程度でのカラオケパーティーです。

うれしかったのは、イベントを開催するということを別の日本人コミュニティで紹介したところ、ベトナム人の参加費用に充ててほしいと言って、支援をいただけたことです。


今年は、外国(母国じゃない国)にいる人にとって、通常以上にたいへんだったと思います。

現在、ベトナムでは国内の感染が抑えられているので、日常生活はあまり気にしなくてもいいですが、日々変わる対策情報を仕入れて対応しないといけないことや日本と行き来できないことなどはストレスに感じることもしばしば。とくに、職場に日本人が少ないとか、一人しかいないとなると、情報を得るのにも苦労するし、不安が大きかったと思います。

実際、4月のソフトロックダウン後に日本人と会ったときは、「コロナのことがあってから、日本人同士の助け合いが必要だと思うようになった」という声をたびたび耳にしました。

わたしも同感で、今まではそんなにほかの人と関わる機会が欲しいと思っていなかったのですが、今年はいろんなところに参加していました。


また、それ以上に強く思ったのは、現地の人(ベトナム人)に助けてもらえることのありがたさです。

わたしは仕事柄、直接多くのベトナム人に関わるので、大丈夫かと声をかけてくれる人がたくさんいました。何をしてもらうわけでなくても、自分を気にかけてくれている人がいるというのは心強いものです。

それに、ベトナムはコロナウイルスの面では感染数を抑えながらも、今年のGDP成長率がプラスを維持している国です。外国からの入国を厳しく制限しているため、観光業は大打撃だし失業率も高いのに、少なくとも周囲のベトナム人からは明るさばかりを感じます。

周りの日本人は、ベトナムの強さに驚き、さらにこの国が好きになったという反応でした。そして自分が今置かれている状況に対して、ベトナム・ベトナム人に恩を返したいと考えている人が少なくないのでした。


それが冒頭の話に戻って、日本人がベトナム人を支援してくれる、ということにつながりました。


たぶん、コロナがなければわたしはイベント開催に踏み切ってなかったし、ベトナムはただ住むのに不便しない国としか思わなかったし、日本人の知り合いが増えることもなかったでしょう。

参加者にとってはたくさんある異文化交流コミュニティの一つでしかなく、周りの人にとってわざわざ応援するほどの出来事でもなかったに違いありません。


夏休みの宿題のように、追い込まれて動いた結果ではありましたが、何かに踏み出せた1年になりました。

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見出し写真は、今年のテト(旧正月)の様子です。

ホーチミンにあるNguyen Hue(グエンフエ)通りでは、干支にちなんだ大掛かりな飾りつけがされ、テト期間中は多くの観光客でにぎわいます。

渡越以来、サル・トリ・イヌ・ブタ(←ベトナムではイノシシじゃなくてブタ)・ネズミをまたいできました。来年は水牛年!(←ウシじゃなくて水牛ww)

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Chunco
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