日本語教育の未来のために#日本語教師
今日の内容は、実は以前にはも同じようなことに触れているのですが、さらに深く強く書きたいと思います。
7月から新しい職場での勤務がはじまり、もうすぐ半年になります。
日本語教師として仕事の内容はほとんど同じですが、このような表現でいいかわかりませんが、”密度が濃くなった”と感じます。
かんたんに言うと、一つ一つの仕事をめまぐるしいスピードで深く学びながら進めています。
たとえば、コースをデザインするとか、テストを作成するとか、そういった仕事について日本語教育(あるいは第二言語教育)ではどう考えるのか、という知識を身につけられる環境があります。
むしろ、それ知らないと恥ずかしいよ。って感じで周りが進んでいくので、あたふたしながらしがみついていってる状態です。
ついには論文や参考文献を読むために、Kindle端末を買いました。
前職の日本語学校では未経験からはじめて4年勤めました。
わたしは日本語教師養成講座の受講と、教育能力検定試験に合格をしていますが、そこで勉強したことは現場でほぼ役に立ちませんでした。
もちろん、まちがった知識を教えられたわけではありません。基礎的なことがカリキュラムとして組まれていたはずですし、資格取得後の就職についても親身になって相談を受けてくれた先生もいました。
でも、残念なことに、身につけた知識が実践で使えていませんでした。
日本語教師になら伝わるだろう例えで言うと「JLPTのN2に合格してるけどぜんぜん話せない学習者」です。
なので教師になってから最初の半年くらいはほんとに失敗ばかりでした。教え方がわからないと言って、クラスに来なくなった学生もいました。
同僚に助けられながら経験をつみ、あとは試行錯誤のくりかえしだけで4年間続けてきました。
前職では全拠点で見ても日本語教育についての知識と経験が十分な教師がいませんでした。
とくに最新の研究結果に裏づけされた確かな知識を持っている人はいなくて、日本語教育についての知識を得る方法も知りませんでした。(あるいは、知っていても目の前の仕事に精一杯で、その余裕も、新人にそれを伝える余裕もなかった)
だから、自分たちの経験に頼ることしかできず、いつのまにか自分の経験だけが正しいものであるような錯覚を生む土壌ができていました。そのような環境はいずれ、残念な教師養成所となり果てるのではないかという不安がありました。
そして、その状況に疑問を感じて飛び出した今の職場で、今までの疑念がはっきりと確信になりました。最初は自分の知識不足がわかり、今まで築いてきた自分の足場がガラガラと崩れるようにショックを受けました。
同時に、今まで後輩を指導する身でありながら勉強不足だったことの罪深さに、恐怖を感じました。
もし、今まさに養成講座や試験だけで日本語教師を目指している人がこれを読んでいるなら、そこで何を学んでいるのかもう一度よく確かめたほうがいいと伝えたいです。
日本語学校や大学などで働きたいなら、試験に合格するためじゃなくて、組織的な日本語教育を行う上で必要な知識を身につけたほうがいいです。そして最初に働く場所は慎重に選んだほうがいい。
外国で働く場合、最新の情報を手に入れたり、日本語教育に関わる問題をいっしょに考え解決する仲間を見つけたりする方法を持っておかなければ、あっという間に時代に取り残されてしまいます、
ホーチミンで知り合った日本語教師の方々は、相談相手がいなくて自己流でやってきたという人ばかりでした。(もしくは、ただのネイティブスピーカーしかしておらず、たいした困難に接していない)
わたしの今までの失敗は自身の考えの甘さが原因ですが、日本語業界の仕組みそのものについても大きな問題があると感じました。
外国人材を期待するなら、日本語教育は重要になるはずで、それを担う日本語教師の質が担保されないといけないはずです。
それは日本国内だけでなく、国外にいて現地の教育機関で働く日本人日本語教師も同じだと思いました。むしろ、現地で基準を作る立場に置かれやすい分、国外で働く日本人はよほど責任が重いのではないでしょうか。
でも現実は違います。国内外を問わず、日本語教師は労働との対価として見合わない程に安い給料しかもらえません。日本語母語話者なら誰でもできる、専門性の低い職業だと考えられていますし、日本語教育関係者ですらそんな考えを持っている人もいます。
これが変わらない限り、日本語教育業界の未来は明るくならないでしょう。
ここまでネガティブな方向で書いてしまいましたが、実際に日本語教育について学びが深くなれば、授業の質も変化します。
使用テキストへの理解が深まるだけで、授業準備の効率もよくなりますし、テキストの欠点を補う工夫もできます。
言語習得の理論を学んでコース作りに活かしたり、教育心理学から学生の個性にあわせた指導ができるようになります。
また協動学習や自律的学習の考えは、つめこみ教育を受けた自分にとって、自分の学び方そのものを変化させてくれました。
職場の特性からICTを活用する機会に恵まれていますし、最近は日本語教育の範疇を超えて、コーチング、組織の成長、コミュニティ論などにも興味が広がっていますが、じつは「日本語教育だけ勉強しても潰しがきかない」などとならないことを期待していたりします。
今の職場では、日本語教育がただの言語技能の向上だけを目指すのではなく、学習者の人生をよりよくできるものだという考えの下、事業を行っています。
それは私にとってたいへん魅力的なことですし、まわりの先生たちの姿勢を見ても同じ気持ちだろうと言えます。
日本語教師は本来やりがいのある職業で、やっぱり外国人と直接接することができる・外国で働けるということも大きなメリットです。
だから日本語教師を目指す人がたくさんいて、しかも高いレベルの日本語教育を目指す人がもっと増えて、日本語教育業界全体が上向きになってほしい。とつくづく思いました。
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今月でベトナムへ来てからまる5年が経ちます。そしてそれはそのまま日本語教師歴です。
今年は社会的にも個人的にもめまぐるしく変化した年でしたし、想定外のことが重なり過ぎて思いもよらないところへ来てしまったなという感じです。
それにしてもいつになったら飛行機なんかで遠くへ行けるようになるんでしょうか。