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ファンがついてた#サバイバル日記inベトナム24

現在、月1ペースで日本人とベトナム人の言語交流会を開催しています。

4月の社会的隔離措置からこちら、Zoomを使ったりカフェに集まったり試行錯誤しながら、日本語に関係するイベントを続けてきました。

イベントを行っていて気がついたのですが、どうやら参加者には「イベントの内容への興味」と「イベントの主催者への興味」があって、人によってこのバランスが違うようなのです。

「イベントの内容に興味がある」というのは、日本語の練習をしたい、日本人の知り合いを作りたい、ということです。

「イベントの主催者に興味がある」というのは、わたし(Chunco)に会いたい、なんだかわからないけどわたしの呼びかけだからとりあえず参加してみた、というような場合です。

もちろん「日本語を使う」という大きな目的があるのですが、「日本語がもっと上手になりたいから参加する」というだけじゃなくて、「Chuncoがイベントを開いたから参加する」という人、しかも後者のほうが大きい理由だという人がいるのは驚きでした。

わたしの仕事は「日本語を教えること」です。
だから、わたしは学生たちはわたしのことを「日本語のスキルを与えてくれる人」「日本語を練習する相手」として見ているのだと思っていました。

そもそも日本語イベントを始めたのは、コロナの影響で学校が開けなくて日本語の勉強ができない人たちのためでした。だから、みんなは日本語を使う場を求めて集まってくると認識していたのです。

でも、そうではなくて、「得たスキル(日本語)を使って交流したい相手」として見てくれている人もいるのです。
かんたんに言うと、わたしのファンになってくれている、ということ。


フリーランスの教師であれば、そのことは当然必要な要素です。
ファンがつかなければ継続して授業を受けてもらえず固定的な収入を得ることができません。ファンが多ければ口コミでの集客も期待できます。

しかし、わたしは今まで組織の一員として働いてきました。とくに一般向けの日本語学校でチームティーチングをしていたので、自分は全体の一部でありファンとは学校につくものだと考えていました。

実際、学校が好きだという学生がたくさんいましたし、イベントに参加してくれる人もそんな学校が好きな学生がほとんどです。それが、組織から離れて所属を変えたわたしが、個人的にイベントを開催しても参加してくれている。

そして、その理由が「先生に会いたかったから」だと知ったときに、自分自身にもファンがついていたことに気づいたのでした。(組織に属していたからこそ、多くの学生と知り合えて、結果的にファンがついた。ということはここでは置いておきます)

自分にファンがいる。
これはすごくありがたいことです。この活動はボランティアとして行っているので、収入が増えるというわけではありません。

今のような孤立しやすい(社会情勢により国へ帰れない)状況下において、コミュニティに属してるという実感があれば安心できます。
さらに、自分の呼びかけでコミュニティが生まれたという自信も得ることができました。

毎度同じようなことばかり書いていますが、ほんとうに日々何が起こるかわかりません。
つくづく、この一年ほどは発見の連続であったと感じます。

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今日の見出し写真はハロウィン用に飾られたウィークエンドマーケットの一角です。

ベトナム人はほんとに写真が大好き。いつでもどこでも記念撮影をしています。撮った写真はFacebookを中心にSNSにアップされます。

だから写真を撮りたくなる背景は大事。ベトナム人の間では口コミの力がすごいのですが、こういった背景を準備しておくことで、自動的に写真が拡散されて宣伝になっているのかな?とか思ったり。

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Chunco
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