本当に大切なことは何かを考えたい#日本語教師
「遅れてきた学生が謝っていませんでした。挨拶を指導してください」
これは、わたしの授業を見た、大学所属のベトナム人教師からのフィードバックです。(これ以外に何も言われなかった)
どういうことかと言いますと。
授業に遅刻してきた学生は「遅刻してすみません。教室に入ってもいいですか」と言わなければならない。というのがその方の言い分です。
それに対してわたしは、授業でいちいち遅刻者が謝るとはやめてほしいという意見です。わたしに遅刻を謝ってもなんの意味もありません。
むしろ、たどたどしい日本語で謝られる時間や何故遅刻したのか?と問い詰める時間は、せっかく授業を受けているほかの学生の時間を無駄にしていると考えています。遅れた学生のために、時間を守った学生が不利益を被るのはおかしいと思うのです。
学生が遅刻してきた場合は、目くばせで「早く座って」と伝えることもありますし、そのほかの対応方法の引き出しもあります。小テストをしているときに遅刻してきたら時間を延長してもらえないから点が下がる、教室に入って来たところで急に話題をふられる。ということが続けば、自然と「遅刻するとマズイ」ということがわかってくると思います。
よほど繰り返して成績に影響がある場合には個別に呼び出して注意することもありますし、クラス全体にカツを入れる場合もあります。
そもそもなぜ授業に遅刻してはいけないのでしょうか?
わたしが考える理由は「学生自身が損をするから」です。
だから、わたし(教師)に謝ることより、遅刻しないように一分でも早く来ることが大事だし、遅刻した間に進んだ授業内容を友達に聞いたりしてしっかり補足することのほうがもっと重要だと思います。
一つ、わたしが実際に教えたクラスでのエピソードがあります。
そのクラスは同じレベルのほかのクラスより全体の成績が低く、授業で説明を聞いてもなかなか理解ができないという学生ばかりでした。
それなのに、そのクラスでは遅刻が多かったので、授業の最初に前回の復習を入れてもあまり効果がないという問題がありました。
あまりに遅刻が多いので、ある日の授業でたっぷり時間をとって話をしました。やり方はこうです。
まず、授業の最初に(まじめに来て成績がいい学生しかいない状態)前回の復習をしました。そして、しばらくして学生たちがそろってからもう一度同じ内容を提示して、遅刻者をつぎつぎに指名しました。当然、答えられません。そこで授業開始からいた学生に正解を答えてもらい、なぜあの学生は答えられてあなたたちは答えられないのか、と質問しました。
遅刻しなかった学生は復習ができて理解しやすくなる。
遅刻した学生は復習ができないからいつまでも理解ができない。
あなたたちは自分で選んで日本語の授業を受けているが、日本語がわかって楽しくなることと、わからなくてつまらないのはどちらがいいか?
このようなことを学生たちに投げかけました。
その後遅刻そのものはなくならなかったものの遅刻時間が短くなり、じつはこのとき学生に嫌われることを覚悟だったのですが、学期終了時のアンケートではむしろ良い評価をもらいました。
大学生程度にもなれば自分のためにされている注意が理解できないはずがありません。
「日本に行ったときに礼儀を知らないといけないから」
冒頭のベトナム人教師は言います。(でも、その方は日本で働いたことも日本企業で働いたこともないし、ベトナムの企業ですら会社員経験がない)
本当に日本へ行ったときの礼儀を身につけなればならないのなら、教えるべきは「遅刻しそうなときは事前に連絡すること」でしょう。だって、会社に無断で遅刻したらとんでもないことですよね。事故でも、寝坊でも、遅刻しそうなら連絡することが日本人が守っている礼儀です。
そしてなぜそれが礼儀となっているのか知ることなしに、遅刻を反省することはできません。
自分の遅刻によってチームやお客様に迷惑をかけるから。何かあったのかと上司や同僚が心配するから。自分の信用を失うから。
「遅刻したら謝らなければならないというルール」を守ることに意味があるのでしょうか?
それは「遅刻しても謝れば許される」につながらないでしょうか?
もう一つ、別のエピソードがあります。
日本語能力が高いベトナム人を事務スタッフとして採用したことがありました。しかし、いざ勤務してみると、そのスタッフは遅刻の常習犯でした。
注意しても事前連絡をすることもなく、無断遅刻が続きました。しかたがないので、無断遅刻をしたら半日の無断欠勤として扱うというペナルティまで作りました。それでも改善されなかったので、本人を呼び出して強く注意したところ、「わたしはペナルティとして半日の有給を使っているのだからいいでしょう」という返事が返ってきて愕然としました。
ほどなくしてそのスタッフは辞めましたが、ほかのベトナム人スタッフも含めて周りはみんなその発言にはびっくりしていました。
ふつうのベトナム人は遅刻をしてはいけないことを知っています。遅刻したら悪いという気持ちを持っています。
「遅刻しても謝れば許される」は「ペナルティを受けているのだから遅刻してもいい」とけっきょく同じです。遅刻すること自体を当人が問題として扱っていないのです。
わたしも以前は「日本で働くことを目指している学生にはしっかりルールを守らせないといけない」と考えていました。しかし、あくまで学校の授業(義務教育ですらない)という環境下で「日本へ行ったとき」のことを想定すること自体に無理があるなと思うようになりました。
学校で日本語の授業に遅刻するとき、問題になるのは学生自身の不利益になるということだけです。その学生がいてもいなくても、ほかの学生や教師にとって特に問題は起きません。困るのは遅れた分の授業を受けられなかった本人だけです。
それにベトナム(ホーチミン)では「遅刻しても悪びれない」というより、「時間を決めてその通りに行動する習慣がない」ように感じます。つまりルールを守らないというよりルールがない、だからルールを破っているという感覚が薄いのではないかと。
会社員になったら時間を守らないとほかの人にも迷惑をかける。日本ではルールが決められていて、それを守るのが常識になっている。だから、遅刻することの重さは学生のときよりベトナムにいるときより大きくなります。
でも、そんなことは日本で会社員になったらおのずとわかることだし、入った会社のルールも違えば厳しさも違います。
ちなみに。
自慢できることじゃないですが、わたしは小学校から大学まで遅刻の常習犯でした。(高校時代は反省文を何度も書かされました…)しかし、遅刻を繰り返して「会社員としての常識に欠けている」なんて指摘されたことは一度もありません。
学校は学校。会社は会社。あくまで別の環境です。
「今から授業に行ってみんなの目の前で謝らせられるくらいなら、もう学校を休んでしまおう」と思われるより、「今日はだるいけど、あの先生なら許してくれるしまだ間に合うからちょっとだけでも授業出ておこうかな」と思って学校へ来てくれるほうがうれしいです。
「あの先生は怖いから学校へ行かないと」というプレッシャーだけで来て、けっきょく日本語が上手になってないなら意味がないです。
目標は「あの先生の授業はおもしろいし役に立つから休まないで行こう」「あの先生の授業に遅れたらもったいないから間に合うように行こう」と思ってもらうことです。
大雨の中びしょぬれになっても来る学生。風邪だというになんとか机にしがみついている学生。なんと尊いことか。
もちろん遅刻や欠席しないというのが常識です。当然守ることだと思います。そのことは指導するし、日本ではこうだよということも伝える。
ただ、それを教えるためにわざわざ授業の手を止めてまで毎回謝らせないといけないのだろうか?という疑問があります。
日本語教師として、それを教えて本当にこの学生たちにとって意味があるのか。
そんなことについて考えを巡らせたいものです。
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今日の見出し写真はサイゴン動物園のゾウです。
ここではサトウキビをエサとしてゾウにあげることができます。
ぶつぎりにしたサトウキビをゾウに向かって投げるのですが、サトウキビがほしいゾウは鼻をあげて立ち上がったりして見物客にアピールしています。
アピール上手なゾウの前には人が集まってたくさんつぎつぎにサトウキビが飛んでいきますが、控え目なゾウの前はみなさん通り過ぎてしまいます。
たぶん誰が教えたというわけではなく、自然と身につけたんだろうなぁ。