一人称「先生」#日本語教師
こんにちは。一度はコロナ感染を封じ込めたかに見えたベトナムでしたが、また新たな感染者が出て休校措置が延長となりました。テト休みに入ってから1か月半以上も学生たちの前で教えておらず本当に悲しいです。
自粛モードで遊びにもいけず、教師としての自分を振り返る時間が十分にできたので、この期間にいろいろと教師としての経験を記事に書いてみようと思います。本日のテーマは
教師の一人称
わたしはクラスで教えるときに自分のことを「わたし」と言っています。たとえば次ような会話です。
学 生「先生はベトナム料理が食べられますか」
わたし「ええ。わたしはベトナム料理がとても好きですよ」
学生に指示するときも「わたしが文を読みますから、みなさんもう一度言ってください」というふうに話します。
ですが、人によっては自分のことを「先生」と言います。上記の会話は以下のようになります。
「ええ。先生はベトナム料理がとても好きですよ」「先生が文を読みますから、みなさんもう一度言ってください」
養成講座で勉強しているときに、講師の先生が「先生」というのは敬称だから自分のことに使うのはおかしいと話されていて、なるほど確かにと思ったので教師を始めるとき自分のことは「わたし」と言うように決めました。
日本語教育に限らず教師が自分のことを「先生は…」と言ったり、子どものいる親が「お父さんは…」「お母さんは…」などと言うのは一般的にもよく見かけるものなので、とくに疑問に感じない人も、むしろそれが正しいと思っていた人も、そんなことどうでもいいよという人もいるでしょう。わたしとしても、絶対ダメだからみなさん使わないで!と書きたいわけではありません。
ただ、”相手(学習者)に敬意を持って接する”ことを守ろうと思うとき、自分を「わたし」、学習者を「あなた」とすることは自分と相手を同じ高さに置くという意味で、わたしにとっては大切なことでした。いわば教師としてのビリーフです。何年も教師を続けて、いつか「先生である自分は偉い」と考えてしまうことになったら怖いと思っていて、そうならないためにも一人称にこだわるということをしています。
わたしは教師になる前にたまたま教えられてそのことについて考えるチャンスを得ました。だから、わたしもこうやって発信することで今まで気にしたことがなかった人に「こんな考え方もあるよ」「教師はこんなことも考えているんだよ」というのを紹介できたらいいと思います。
ちなみに
ベトナム語は話す相手によって人称代名詞が変化します。教師が学生と話すとき先生側を表すには「thầy(男性)」「cô(女性)」を使います。
学 生「Cô Chunco đi đâu?(Chunco先生はどこへ行きますか?)」
わたし「Cô đi siêu thị.(わたしはスーパーへ行きます。)」
でも、これが例えば近所のおじさんと話すときだと
近所のおじさん「Em đi đâu?(あなたはどこへ行きますか?)」
わたし「Em đi siêu thị.(わたしはスーパーへ行きます。)」
年下の友達と話すときだと
年下の友達「Chị đi đâu?(あなたはどこへ行きますか?)」
わたし「Chị đi siêu thị.(わたしはスーパーへ行きます。)」
※「Em」は自分が相手より年下の場合の一人称、自分より年下の相手に対する二人称
※「Chị」は自分が相手より少し年上の場合に女性が使う一人称、自分より少し年上の女性に対する二人称
ベトナム人は年齢と立場をとても重視する文化で、それが言語にも表れています。(相手の年齢がわからないとまず話もできない)だから、日本語で教師が自分のことを「先生は…」と言ってもまったく疑問に感じないでしょうし、ベトナム人の日本語教師はベトナム語をそのまま日本語にあてはめて話すので、ふつ学生と話すときに自分のことを「先生は…」と言います。こういった点は言語の特性・文化による違いとして興味深いですね。