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ここに居たいから#日本語教師

 こんにちは。Chuncoです。ホーチミン市ではコロナウイルスの感染防止のために、各種学校はもう1か月ほど休校となっています。日本語学校も政府からの指示により、開校できずにその対処に追われています。

 私が驚いたのは、ベトナム人達はそのことを柔軟に受け止め、すぐにオンライン授業など対面授業以外の方法を使って対応したことです。多くのベトナム人は生活が便利になるなら、新しいことでもすぐに使う印象があります。例えば、Uber・Grabが登場したと思ったらあっという間に道はUber・Grabのヘルメットだらけになりましたし、さらにベトナム版の配車アプリGoVietが誕生したと思ったら、その安さからこれまたすぐに浸透。田舎の家族とビデオ電話でやりとりするのも当たり前だし、日本語の勉強でも携帯アプリやYouTubeにたくさんコンテンツがあります。

 私の学校でも解説ビデオを作って学生達に配信を行い、宿題も通信で提出するようにしたのですが、そこでもう一つ発見がありました。それは、学生から、ビデオでの理解は問題ないが、学校に行けない・先生や他の学生に会えないなら意味がない、という意見が多くあがったことです。

居場所としての学校

 特に私の勤めるのは『語学センター』としての日本語学校で、技能実習や留学専門の日本語学校じゃありません。留学や就職を目的にしている学生もいますが、その人達の大半は「できれば」とか「~だったらいいな」と考えていて、本気度や必要性でいうと低くなります。あくまで「趣味の習い事」程度なのです。そういった背景もあるからだと思うのですが、彼らの中には学校を”居場所”としてとらえているのではないか、と感じることが多いのです。

 なぜそう思うのか、その理由が冒頭のビデオ授業に寄せられた意見です。学生達の中には「学校という場へ行って、そこで先生や友達=仲間に会う」ということが学校に通う目的なのであって、「日本語を勉強する」ことはただの名目だという人もいるのではないか。私はそのように受け止めました。

 実は以前からもそのような考えはあって、例えば日本語がなかなか上手にならない学生がいて、普通は上達しなければ嫌になってやめそうなものですが、そんな学生に限っていくら成績が悪くてもずっと辞めずに続けているのです。特に仕事で必要というわけでもなく、何年後に留学するという目標を立ててるわけでもない。そのような学生は日本語が下手でもいっしょうけんめい教師とコミュニケーションをとろうとしますし、学校のイベントには必ずと言っていいほど参加しています。そんな学生達の姿は、自分が所属する居場所を求めているというふうに、私の眼に映ります。

安心できる居場所でありたい

 そのようなことに気がついてから、私はクラスの雰囲気作りに気をつけるようになりました。人間関係はだれかが外からコントロールできるものではないとしても、できる限り学生同士がクラス内でコミュニケーションをとれる機会を設けること。例えば、会話練習やグループ活動を通してとか、授業でそれぞれの学生にフォーカスを当てた例文を作るとか。せっかく知らない人同士が10人・20人と同じ教室にいるのだから、国籍が同じでも年齢や立場の違う人と知り合いになるチャンスです。実際、クラスメンバーの仲がいい場合、理解が早い学生が遅れている学生に母語でアドバイスするために成績が伸びたり、クラス全体の出席率がよかったりといい結果が出ています。ついでに、クラスメンバーからカップルが誕生しキューピッド役になることも。

 そして自分自身が学生を否定しないことも大切です。どうしても集団の中では浮いてしまう学生もいます。全員が全員と仲良くすることは無理だし、必要もないと思いますが、クラスが居心地の悪い場所ではあってはならないと考えています。他の学生と意見があわなかったり、自分だけの興味で授業中に教師を質問攻めにしてしまう、グループ活動に積極的じゃないない、そんな学生と接するときは、とても気を遣います。教師が困ったり嫌な顔をしてしまうと、本人が気付かない・気にしないとしても、他の学生に伝播してさらに孤立させてしまうかもしれないからです。私自身が人間として未熟で、学生の発言にイラっとしてしまったり、面倒くさいと感じてしまうことがあるので、教師は自分をよくコントロールできなければならないと感じます。

 実際にこの仕事をはじめるまで、日本語教師というのは「わかりやすく日本語を教え」さえすればいいと思っていましたが、それは違いました。いえ、もしかすると、淡々とわかりやすく教えることを教えるというスタンスもあるかもしれません。学生も教師も日本語が上手になるという結果にフォーカスして、ビジネスライクにいくというのは真っ当な考え方です。日本語を使うという技術を教えるのが日本語教師だとしたら、範疇外のことに手を出しているおせっかいという捉え方もできます。でも、私は目の前の人に心を寄せてしまうから、日本語学習を通して学生一人一人の人生が豊かになる手伝いをしたい。そうやって誰かの役に立っていると実感して、教師という居場所を得ているのは私こそかもしれません。

 

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