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覚える・覚えている#日本語教師

高校生のころ、学校の先生ってたくさんの生徒を相手にしてるけどその生徒のことをいつまで覚えているんだろう、と疑問に思ったことがある。毎年毎年新しい生徒を受け入れて、そんなに覚えていられないよねぇと思っていたけど、最近自分が教師をやってみて、案外先生たちは覚えてるのかもしれないなと考える。

わたしは人の顔と名前を覚えるのが苦手だった。自己紹介された直後に、あれ?名前…わかんない!なんてこともしょっちゅう。日本語教師になるためにはそれを改善しなくてはならなくて、どうやってたくさんの学生を短期間で覚えられるか工夫するうちに4年前の自分では考えられないくらいしっかり名前を覚えられるようになった。

しかもその時教えているクラスの学生だけじゃなくて、しばらく顔を見なかった学生も案外覚えていたりする。久しぶりに訪ねて来てくれた学生の名前が思い出せないのはいやだなと思うから、自分の成長っぷりをほめてあげたい。

それで振り返って思うことは、人の顔と名前を覚えるのが苦手だったころのわたしは相手にさほど興味がなかったのではないかな。今は学生達一人一人をしっかり知りたいなって気持ちがあるから、ちっちゃい脳ががんばって情報の置き場所を作ってくれてる気がする。
好きこそものの上手なれ。ちょっと違うか。

そして、それは相手も同じなんだと思う。わたしが言った些細なことを彼らは覚えてくれている。なんでそんなこと覚えてるの?っていう話を覚えている。わたしが自分の記憶にないようなことを、先生言ってたでしょ~ってドヤ顔で。文法や単語は教えても教えてもすぐ忘れるくせに。

日本語を教える立場で考えたら、わたしの話をきいて覚えているということは、興味を持って理解してのみ込んだってことで、日本語を使ってわたしとコミュニケーションした結果ってことだ。そういうことがあると、日本語を教えることが生業だけど、結局この仕事の根っこは”人間関係”なんだと思う。まあ、どんな仕事もそうだし、人間として社会の中で生きてく限りすべてのことは”人間関係”なんだけど。

たぶん、日本語教師として自分が担っていることの本質って、難しい文法をわかりやすく説明するとか、きれいな発音を聞かせるとか、そんなことじゃないんだろうな。
やっぱり、好きこそものの上手なれ。かも。

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最近は十分に内省する時間があって、子どものころのことから最近のことまで忘れていたようなことを急に思い出しています。時間があることだし、と本を取り出しても目が文字をしっかり追わなくて、気づくとほかのことを考えています。そんなわけで、思いつくままいつもとは違う流れで書き始めてしまいました。

このGW、みなさんはどんな時間を過ごされているのでしょうか。普通手にするはずのない時間。家族や恋人と過ごす優しい時間になったり、自分を大切にする穏やかな時間になったりしていたらいいなと思います。

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今日の見出し写真は大阪城公園で撮ったわたげです。
公園で散歩して、ふぅってした気分になればいいな。


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