最近思ったこと|いっしょにいるという感覚を持ちたかった
仕事が完全に在宅のテレワーク(オンライン授業)になって、4か月近くになります。
どうやらベトナム政府は来年1月頃に向けて、段階的に規制を緩和していく方針のようです。わたしが職場(大学)に戻るのは年内には無理かもしれません。
この状況になれてしまうと「これでも仕事できるじゃない」という考えが強くなってきました。
たしかに、学生たちや同僚の顔は見たいし、いっしょにご飯を食べたり、タピオカミルクティーやコーヒーでも飲みながらわいわいしたりしたいです。
ただ、ミーティングとか、会話テスト、講義形式の授業なんかはオンラインでもできるし、教務の仕事は静かな自室でやったほうがはかどります。
オンラインとオフラインはうまく使い分けして、自分に都合のいい働き方がしたいなと思います。
そんな状況下で、日本人の同僚と「まだオンラインでの仕事が続くならどこに住んでてもいいよね」という話になりました。
ベトナムにはリゾート地もたくさんあるので、人の少なくなった海辺の町で、目の前にプライベートビーチのあるホテルにでも引っ込んで仕事ができたら最高じゃないか?と夢のある話をしていたのですが。
もうひとつ話題になったのは、日本に帰ってもいいんじゃないか?ということです。
コロナ以降、ベトナムと日本間は飛行機の便も少なくて、どちらも入国時の隔離期間も必要ですし、入国時の手続きが増えたり、ビザもとりにくくなっています。
なので、一度日本に帰ってしまうと、なかなかベトナムに戻れない危険があり、ベトナムで仕事を持つ日本人たちはベトナムに閉じこもるしかなくなりました。
ただ、これはベトナム国内のコロナ感染者が少なくて国内の生活が自由だったときの話です。今年の5月まではベトナム国内では会社への通勤も対面授業も問題なく行われていたので、現地に身体があったほうがよかったのです。
しかし、今は身体がどこにあろうが、すべてオンラインになったので、それなら日本に帰っても同じじゃないか、という話になりました。
同僚は日本が好きで、もともと海外志向でもベトナムで働きたいわけでもなかった人なので、帰れるなら日本に帰りたいという感じでした。
対して、わたしは今だけ日本で働いていいよ、と言われても帰らないだろうなと思っています。
そこには、日本の実家にもう部屋がなくて今の給料で部屋を借りてまで日本に住むのはもったいないという理由や、遊びや娯楽の誘惑が多い日本で自制しながらオンラインで仕事をできそうにないという理由がありますが。
ひとつには、自分がいる場所を、学生たちや同僚たちと共有していたいなという気持ちがあります。
もちろん、ひとつの部屋や建物にいるわけでもないですし、町も隔てて過ごしている相手も多いのですが。
同じ町、同じ県、同じ地方、同じ国
そこではお互いに厳しい制限の中で過ごしているという連帯感のようなものや、同じ空の下にいる感覚があります。
「ホーチミンは物流がストップして野菜が手に入らないよ」『わたしのいなかでは、ホーチミンに野菜が売れないから、鶏のエサにしてもあまってる』「鶏にやるくらいなら、送ってよー(涙)」『あはは~』
「そっちは雨が降ってる?すごい音」『わたしの家は大雨ですよ』「ああ、じゃあ、わたしのところももうすぐかな……。あ、雷きた」
今では、社員同士が直接会わないで働いてることもありますし、オンライン授業で世界の学習者を相手にしている人もいます。
日本とベトナムで、違う土地と土地をつないでリアルな情報を交換するのもたしかにおもしろそうです。それはそれで、世界が近くなったことを感じられるし、語学学習の面から見てもいい刺激になります。
だから、この気持ちは、ただわたしの好みというか、そうしていたいだけというか。絶対にしなければならないことではないのだと思います。
ただ。
わたしは、どこかの土地でその土地の人たちを知りながら、日本や日本語を紹介するという生き方をしていたいと思っています。
だから、オンラインで有効に語学学習ができることが証明された世界で、時間と空間を共有することの意義を問い続けなければならないのです。
それを選んでしまった、というだけなのです。