どこか特別で、ちょっと独特なカフエマメヒコに魅了されて。
東京・渋谷の公園通りと三軒茶屋にそれぞれ「カフエマメヒコ」というお店がある。そこのオーナーが井川さん。井川さんとマメヒコスタッフの皆さんがつくるものはなんでも美味しくて、どこかちょっと特別さを含んでいる。
まずは見てくださいよ、この色鮮やかな料理。
全部イベントやメニューから選んで食べたもの。お腹がいっぱいになるくらいに、さまざまな彩と食材がお皿(お弁当)の上に乗っかっている。見ただけでも満足するのに、食べるとさらにびっくりするのが一口一口の味わいの豊かさ。
「しいたけってこんなに深い味をしていたのか...(感動)」
「お茶と食事の組み合わせがぴったりすぎる...(感激)」
「グレープフルーツの甘さが優しい...(感涙)」
だいたいため息がでる美味しさなので、いつもマメヒコに行くときはテーブルに出される飲み物や食べ物に集中してめいいっぱい楽しむことにしている。そして都会の喧騒からちょっとだけ離れた静かな店内にいる自分を、徹底的に、意識的にリラックスさせる。ある意味、瞑想やヨガの時間をもたらしてくれるのだ、マメヒコは。
一度マメヒコのハタケの遠足に参加し井川さんやスタッフさん、常連さんとともに豆まきを手伝ったことがある。その晩や翌朝に食べた井川さんの食事の美味しさには、目が飛び出そうになった(美味しすぎて)。それは単なる味の良し悪しの問題ではなく、彼の食材に対する理解の深さとか思いやりがお皿の上に実現されていて、つまり彼はどういうふうにすれば食材自体が喜ぶかという扱い方を熟知していたのだった。
だから、一口食べて、ああわたしは、こういう味を、食卓を、ずっと求めていたんだなと涙が出るほど感激した。「人間」の根幹に関わる部分として深く響いた。それは身体や舌が求めている味であり、なおかつ人間が自然の一部であることを思い出させてくれる体験だった。
祖母や母から受け継いだ料理好きが高じて、料理を友人にふるまう機会が多かったわたしは、野心をもって「自分にもその味を再現できる!」と思えるのかもしれない。でも似せることができても実現はできない。食材に対する「姿勢」や「態度」「理解」がまだまだあまちゃんだから。
畑で手伝うにしても、イベントに参加するにしても基本的に門扉はいつでも誰にでも開いているマメヒコ。このお店と出会えたことは、わたしが大阪から東京に出てきて本当によかったことの一つだと断言できる。息苦しくなりそうになったら、ここに駆け込む。マメヒコの食事で優しい気持ちを取り戻せる。「本来の自然、野菜、果物、人間はそうだった」と思い出せる。
井川さんのつくるものはなんでも美味しくて、そしてどこかちょっと特別さを含んでいる。特別さは何もテレビのCMや広告のように派手なものではなく、シンプルで基礎に立ち返るもの。人にとって「食べること」の大切さを教えてくれる、現代社会からの特別性。
こだわりが独特、とはいっても洒落た雰囲気を意図的に演出するのではなく、あくまでも自然体。この文章を書いているだけですでにマメヒコに行きたくなった。今度は何を食べようかな、どのイベントに参加しようかな。