急行電車が風を横切り、通り過ぎる。
午後3時過ぎ、街をすこし高く見下ろせる駅で電車を待つ。
反対側のホームには急行電車が風を横切り、通り過ぎる。
この駅は普通電車しか停まらない。
土曜日の1日、夕方より早く帰る同級生の姿をこのホームで見かけないのは、すこしだけ学校を出る時間が遅かったせいだろう。周りには早めに仕事を終えたスーツ姿のサラリーマンや異性を意識した巻き髪でミニスカートの女子大生がいる。
赤煉瓦色の電車がやってくる。扉が開く。
緑色のシートが一席分あいていた。「置き勉」をできない生真面目な生徒のわたしは、あらゆる科目のノートや教科書が詰まった鞄をそっと地面に置く。制服のフレアスカートが隣の人にかぶさらないよう、両手で太ももの両脇に手を添えてきゅっとコンパクトに、ふわりとすわる。
この車両で同級生はいない。だから深緑のリボンと紺色のセーラー服を着た女子高生はこの空間のなかでたったひとり。ほかにも女子高生はいる、しかしセーラー服はわたしだけだ。ブレザー制服の多い時代で、たったひとり可愛さの代名詞を身にまとった唯一無二である、その特別感にひたる。
16歳。
大人のようになりたくて、それでいて大人でない年齢。
ぼんやり考えるうちに、ひとつ隣の駅についた。
男子高校生が乗ってくる。ななめ向かいに開いたシートに座るべく、得体の知れない大きな黒いナイロン製の汚れた鞄をどすんと地面に置く。丸刈り頭の小顔の高校生、顔はまだ幼い。
あまり顔をじっと見つめすぎるのも失礼だと思い、視線をはずす。
「他学校のあなたに興味はありません」という意思表明である。
実際にそれほど関心があるわけでもないので、次のエンターテインメントを探す。携帯電話を見る。
すると向こうがわたしを見始める。隣駅にある女子校の生徒なんだな、と気づく。そして彼も折りたたみ式の携帯電話を開き、ぼんやりとどこかインターネットの彼方へ向かう。何か右手で文字を打っている。母親に「今から帰る」とメールを打っているのか、それとも友人に待ち合わせの連絡事項を送ったのか、気になる女の子へメッセージを送ろうとしているのか、そんなことはわからない。
学校帰りの数分の、鈍行列車のゆるやかな時間。
悠久であるかのように、頭にこびりつく光景。
彼とわたし、ふたりの年齢はそう違わない。たかが1歳2歳の差異。もし友人関係だったら。恋人関係だったら、車両で落ち合って笑顔を交わしていただろうか。今日も授業が面倒だったね、これから街で何を食べようなんて話していただろうか。想像するのはそう難しいことではない。
でもわたしたちは、お互いを知らない。
知り合いでもないし友人でもない。同じ時代に生きているくせに、この先ふたたび出会うことだってないのかもしれない。でも今この目の前にいてお互い同じ車両に乗っている。
何もわからず、迷いながらそれでも感受性だけは取りこぼすことのないよう必死で生きていた高校時代。
いつか再び彼と遭遇しても、きっとあの何月何日に電車に乗っていたなんてことは覚えていないだろう。儚さと偶然性。それでも数分の出来事が、何年も何十年経っても忘れられずにこびりつく。何十年も色褪せず、あの16歳の電車の帰り道を思い出す。
*
このnoteを読んで、ふと書き留めたくなった文章。
こうやって書いていると、数十年も前の過去にタイムスリップしたような気持ちになる。ありありと覚える景色は、どれだけの経験や出来事を積み重ねてもいつまでも色濃く、心にこびりついているのだろう。だから言葉に迷わない、その情景が目の前に浮かぶ。車窓から眺めた景色、学校の窓から見える空の色、なんてことのない授業の光景。
つくづく思うなあ。
書くことは過去にも未来にも存在しない世界にもどこにでも行ける、と。