「好き」という感情は理論で説明できない

漫画がなぜ面白いのか、なぜこの音楽が好きなのか、なぜこの人が好きなのかなど、好きなもののなぜを突き詰めるのが私は好きだ。

しかし最近、「好き」という感情を、理論で再現性を持って落とし込むことは難しいのでは、という気持ちに傾いている。

1番わかりやすいのが恋愛なので恋愛で例える。
「恋はダイナマイト」と言われるように、恋愛は頭でアレコレ考えても理論すっ飛ばして、直感のように「好き」という感情が舞い降りてくる。

そして基本的に好きとは本能に基づくもの、

遺伝子的に遠い×生物的に生存能力が高い
=自分と掛け合わせた子供の生存確率が高くなる

というシグナルを拾って、子孫を残すためのプログラム(動物としての本能)に沿って恋愛感情が生まれるものだと思っている。

※シグナルとは一言で言えば「タイプ」。共通するものでいうと、性的魅力、共同体内での社会的地位、左右均等で整った顔立ち、子育てにあたっての適性などか

だからこそ「何が好きなのかわからないけど好き」となるし、人によって好む人(遺伝子)が違うのだと思っている。

そういった遺伝子が違う人間同士で、「この人が好き」という感情を、共通理解の得られる形での理論に落とし、再現性を持たせるのは難しい。

話を戻す。
このように好きという感情が人によって違う中で、多くの人が「好き」だと共感する歌や漫画が存在するのは、それらの作品がサピエンス全史で言うところの「物語性」が秀逸な作品だからだろう。

感情を直接的に共有できないため、その感情が起こった状況を物語によって疑似再現し、感じてもらい、共感してもらう。
この状況の再現・表現が優れている作品が、名作と言われるのだろう。

例)具体的な描写での再現がうまい:melt bitter
例)抽象的な描写での再現がうまい:TSUNAMI


そう考えるとやはり、人間が千差万別の中、感情を直接的に理論で説明・本当の意味で共有することはできないのだろう。
しかし物語による共感はできるのかもしれない、と思った。
(特に自分と似た物語を歩んできた人同士)

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