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ごはんのリレー【元気をもらったあの食事】

26歳の冬。まごうことなき大人になってから、私は家なき子になった。

当時暮らしていた家は私ひとりのものではなくて、私と恋人、ふたりで暮らす家だった。互いに実家は関西で、ここは東京23区。引っ越したての頃には「もし喧嘩してもすぐに帰れる実家がないから大変だね」なんて、笑って言える余裕があった。

けれど、一緒に暮らして1年半が経った頃、それは現実になった。
ひょんなことから距離を置くことになり、しばらくの間、どちらかがそのまま住み続けて、どちらかが家を出ることになった。そして、そもそも家賃を多めに払ってもらっていた立場だった私がそのまま住み続けられるわけもなく、当たり前のように私が出ていく話でまとまった。

話がまとまってしまったので、住む場所を考え始めた。出勤しないといけないから実家には戻れないし、東京のマンスリーマンションは笑えないほど金額が高くて、私は驚愕した。笑い合う余裕をかましていた1年半前の私をぶん殴りたくなるほど、東京の辛辣さを感じた。

ダメ元で、同じく上京して働いている大学時代の友人に「しばらく住まわせてくれないか」とLINEをしてみた。
すると、

「なにがあってん笑笑 別にいいよ爆笑」

なんと1ターン目でOKを貰えた。
こんなに軽く許可が下りたことに、驚きと感謝が噴き出した。


その週末、さっそく彼女の家に行かせてもらった。
風の強い、寒い夕暮れの日だった。

その日の晩に、ふたりで鍋をした。
これから何回も行くことになるであろう近所のスーパーへの道すじを教わりながら、お酒を少しと好きな具材だけを買って、帰って一緒に作った。
作りながら、乾杯しながら、鍋を食べながら、私は友人に事の経緯を話した。彼女は話を聞きながら、私と同じ温度で怒ったり悲しんだりしてくれた。具が無くなって、シメの雑炊を煮込んで、出来上がって食べ終わるまで、ずっと話をした。
温かい鍋と優しい友人に心が溶けて、私は食べながら、話しながら、何度も泣いた。

次の日は月曜日で、私も彼女も仕事に出かけた。
しばらく家にいていいと言ってくれたものの、ずっと1人で暮らしていた家に他人が転がり込んでくるのはきっと、気を遣わせているだろうし知らず知らずにストレスをかけているに違いない。
どうにかしないとと思いつつも、他にすぐに行ける当てがない。申し訳ないまま、私はそのまま居座った。

水曜日、仕事が遅めに終わると彼女からLINEが来ていた。
「鍋余ったから、良かったら食べといてな~」
今日は確か、在宅で仕事だけど夜は飲み会があると言っていた。お昼に作った鍋を残しておいてくれたのだろうか。

帰って1人で鍋を温める。ふつふつと沸くのを眺めながら、誰かが作ってくれたご飯を食べるのはいつぶりだろうかと考える。少なくともこの1年、顔を知っている人が作ったご飯を食べていない気がする。

美味しかったが量が多くて結局私も食べ切れず、また少しだけ余らせてしまった。とりあえず、冷蔵庫に残っていた具材を入れて違う味の鍋を作っておいた。
次の日には彼女がそれを食べて、また次の日に私が食べてようやく完食した。

仕事や付き合いで平日の夜はなかなか顔を合わせる時間が少なかったけれど、ご飯を作って、どちらかが食べて、どちらかがまた作って食べる。旅行や出張にいったらお土産の食材を使ってまた、何日分かの料理を作って交互に食べる。たまにふたり揃った日には、缶ビールを一緒にあける。
そんなふうにして晩ご飯のリレーをしながら、私は友人の家に住まわせてもらった。

ご飯を作ってくれている。
私の作ったご飯を食べてくれる。

そのやり取りは、私に「ここに居ていい」と語りかけてくれているような気がした。
言葉でもらうよりも強く、私を受け入れてくれたように感じた。

おでんにカレーと、鍋1つあればできるかんたんな料理の数々。けれども、今まで食べたどんな料理よりも温かくて優しいものばかり。
顔を合わせたときに交わす「美味しかった」の一言は、地に足のつかない生活をする私の心を落ち着かせた。


今はもう、ひとりで生活をしている。自分のためにご飯を作って自分で食べる日々。
けれども私はたまに、2人分以上を鍋に作って何日も食べる。
自分で作ったとはいえ、家で晩ご飯が待っているということは、少しだけ生活を頑張る材料になる。それに、あの頃を思い出すという調味料が加わって、どことなく美味しさが増す気がするのだ。

友人のおかげで、あの頃の私は身も心も腐らずに済んだ。
あの生活への感謝と、あの時の鍋料理の味は、きっと一生、忘れない。


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