あいみょんのライブに行った。 初めての生あいみょん、それはそれはかわいくて、歌がうまくて、楽しい時間だった。 友達に誘われないと行く機会がなかったと思う。あいみょんは好きだけど、あいみょんのことなんてみんな好きだろうから。私くらいの好きがわざわざ行く場所じゃない、となんとなく、そう思っていた。 それに曲だって全部知ってるわけじゃないし。 でも行ってみると、ほとんどが知っている曲で、なかには何年も前から何百回も聴いていた曲もあった。 あいみょんの熱狂的なファンじゃなくとも、
3つ上の姉と、日帰り旅行に出かけた。 片道2時間ほど電車に揺られ、その間ずっと話していた。 その時に初めて気づいたのだが、 姉との会話はびっくりするほど、自分の話のぶつけ合いだった。 この1日、会話が途切れることはほとんどなかった。 けれどこの1日、姉から質問をされて会話が広がる、ということが一度もなかった。 もちろん話をしていて、それに対しての質問とかはある。 それに答えて、そこから話が膨らむということはある。 けれども、会話の始まりは決まってどちらかが、自分のエピ
毎年の楽しみにしていることがたくさんある。 節分には恵方巻を予約して買ったり、 寒くなった日に満を持して羽毛布団を出したり、 夏にはどこかへヒマワリをわざわざ見に行ったり。 あ、夏だとそれから冷やし中華を絶対に食べるし、会社近くの中華料理屋に必ず冷やし担担麺を食べに行く。 そんなふうなことが季節ごとにたくさんあるはずだけれど、 私は上の文章を書くのにうんうんと何十秒も「何があったっけかな」と考えた。 楽しみにしている。というよりも、 季節が来たらそのことを思い出す。の
平日の夜、たくさん食べさせられた。 そういえば、いっぱい食べることを強要される場面ってあんまりないよな、ということを後になって気づいた。 その相手は知り合いの知り合いで、年齢も関係も上の人だった。 ありがたいことに前菜の盛り合わせやニョッキ、オムレツなど、お酒が進む濃いものをたくさん振る舞ってくれた。 そしてメインは、合計500グラム以上ありそうなお肉の盛り合わせ。 おいしい、おいしいのだけど、メインがやってきた時点でもう腹8分目くらいだった。 しかし、明らかにお腹いっぱ
ラジオを聴くようになったのは、 コロナ禍、緊急事態宣言が発令されていた頃。 まだ1年しか住んでいない、 知り合いがほとんどいない、いても会えない独り暮らしの家の中、 私は誰かの話し声を求めるようになった。 ラジオに音質は求めていないから、きれいすぎないその声は すぐそこで知り合いが話しているような気分になれて安心した。 散歩しかすることがない異常な日常で、ラ ジオは散歩のおともにぴったりだということを知った。 ラジオを昔から聴いている人が羨ましいな、と不意に思った。
どれだけ美味しいトンテキに出会っても、 私は毎度そうやって考える。 今日は久しぶりに同期と外出があって、 朝から本町に出向いていた。 彼女は私が異動してからもずっと 営業メンバーとして外に出ているから、 とにかくオフィス街のランチに詳しい。 案の定打ち合わせの帰りに、私を誘ってくれた。 「めっちゃ美味しいトンテキあるねん、食べに行かん?」 出たな、トンテキ。 どこで食べても美味しいトンテキ。 名前からして美味しさを醸し出すトンテキ。 けれどトンテキの美味しさに気づ
26歳の冬。まごうことなき大人になってから、私は家なき子になった。 当時暮らしていた家は私ひとりのものではなくて、私と恋人、ふたりで暮らす家だった。互いに実家は関西で、ここは東京23区。引っ越したての頃には「もし喧嘩してもすぐに帰れる実家がないから大変だね」なんて、笑って言える余裕があった。 けれど、一緒に暮らして1年半が経った頃、それは現実になった。 ひょんなことから距離を置くことになり、しばらくの間、どちらかがそのまま住み続けて、どちらかが家を出ることになった。そして
次に桜が咲く頃も私はこの場所にいると、信じ切っていた。 引っ越したのは日本でも有数の桜の名所で、春になるとわざわざ電車に乗ってその場所にたくさんの人が募った。 私はわりと、眉毛も描かずに買い物に行ったりパジャマ同然で散歩に行ったりする生活を送っていたのだけれど、ある在宅勤務の日、気分転換がてら桜を見に外に出たらわんさか人がいて、その日以降、寝間着から着替えずに外出するのをやめた。家から歩いて1分のド近所に外から人がやってくる街は、なんだかソワソワしてあまり好きになれなかった
東京で初めて、植わっているキノコを見た。 しかも、浜離宮で。 自然の森ではなく手入れのされた庭園で。 わざと?わざとにしては少ないしなんかそこだけ浮いていた。 これを見たすぐ後、水中ではなく芝を歩く鴨を見た。 東京で初めて、歩いている鴨を見た。 なんや、東京も都会ちゃうやん。 落胆なのか安堵なのか分からないまま、胸を下ろす。 そのすぐ後に、丘に登って見た先で しっかりとした都会が見えた。 緑とのコントラストがもはや怖い。 私は、未だこの街を掴めない。
電車に乗っている時間が好きだ。 心地よく眠りを誘う揺れ。ものすごく人が少なくても静寂を感じずに済むガタゴト音。 家で一人、テレビもつけずにいる時や、都会の外れ道を歩いている時にはあまりの静けさに「何もしていない自分」への罪悪感にさいなまれてしまうことがある。 けれど電車に乗っている時間は、私がぼけっとしていても電車側がうるさく動いてくれているから、私は気兼ねなくぼけっとしてられる。 そんな安心感がある。 高校3年のときの社会科の先生は、電車通勤をしていた。 車で通え
いつでも、無い物ねだりをしている。 暑い夏には、涼しい場所を求めて、冷たいかき氷や麺を求めて。寒い冬には、温かいこたつを求めて、熱い鍋やシチューを求めて。 それだけ風物詩を楽しんでいるのに、早く秋になれ、早く春になれ、と、比較的生きやすい世界を求めてそうつぶやく。 昔から暇が嫌いで、いつも何かをして遊んでいた。 小さな頃、家で一人きりの時にはリビングで一人、本で壁を作り、本屋さんを作って、お客さんと店員さんの一人二役をして遊んでいた。 部活動の無い平日は、何も用
最近流行ってる気がする。 朝ごはんみたいな晩ごはん。 おにぎり、ウインナー、卵焼き、味噌汁、本当はさらに野菜の煮付けとかおひたしとか鮭焼いたやつとかが並んでるのを、SNSで流れてくる知らない人の写真で見る。 そんなに頑張れなかったとはいえ初めて今日作ってみたけど、私はこんな朝ごはん、食べたことない。 朝にしては、豪華。 おにぎりを久しぶりに握った気がする。 おにぎりを握る動作って、他の何とも被らないから、握った瞬間におにぎりを握ってる昔の記憶がぶわっと蘇ってきた。 いく
台風のせいで予定が無くなった。暇だった。 暇なのにきちんと時間は過ぎていく。 今日やったことは、漫画を読んで、本を読んだ。 最近は時間が余っているので、とりあえず途中まで読もうかなと開いた本を、1日で読み切れる。ちょっと嬉しい。 ベランダの大雨を見ながら本を読んだり、ソファに寝転がりながら読んだり、いつもは同居人が使っている椅子に座って読んだり、いろんな場所で読んだ。 台風が来ると予定が狂う。それはちっとも嬉しくない。 フェスが中止になるなんて、どうしようもないけれど黙
心に留まったドラマや映画や小説の台詞は、可能な限り覚えていたい。 だからスマホにメモしたり日記やノートに書いて置いたり、録画を2度3度と繰り返し見たりして、登場人物が発した言葉を反芻する。 そうすることで、あるとき悩んだり迷ったりした自分のためになる。 高校生の時に読んだ漫画の言葉が私の就職活動の選択を後押ししてくれたし、大学生の時に観たドラマの台詞が、私の恋愛を何度も支えてくれた。 最近だって、好きな脚本家がつくった映画の描写が、私を私らしく居させる一端を担ってくれて
長期休みに地元に帰らないのは、ほぼ初めてだ。 ほぼ、というのは、あのステイホームのゴールデンウィークは帰れなかったので、純粋な初めてではないから。 けれどもあの時は、こっちにいたからって都内を出かけるなんて全く無理な話で、ひたすらに家の周りを散歩しているだけだった。 それが今回は、一応コロナ禍ではあるけれども気をつければ出歩ける。そんな中で過ごす東京は、とっても楽しい! 前にも書いたが、あまりに美術館が多い。 だから長期休みを利用して、いくつか美術館を回っている。 ぐる
東京に来たばかりの頃、あまりの美術館の多さに驚いた。国立新美術館とか、上野の森美術館とか、国立西洋美術館とか、都のシンボルになり得る規模がいくつもあって、それでもって新しい美術館もできているようで、なんて楽しい街なのだと感動した。 美術館にも美術にもぜんぜん詳しくないけれど、定期的に色んな展示会には行っていた。 しばらく行けていなかったが、また少し気になりだした。 そうして展示とかを調べていると、東京はシンボルみたいな大きい美術館だけじゃなくて、区立とかの美術館や、もっと