【ドイツ周遊】ベートーヴェン生まれの地、そして父なるライン川・母なるモーゼル川の結節点を訪ねて
こんにちは。
ドイツ・ミュンヘンで留学生活を送る大学生、桜です。
私の現在地はフランスはリヨン、春休み初っ端からひとりで南フランスを旅しています。
その様子も近々・・・
今回はドイツ周遊・ドイツ西部のふたつの街を1日でハシゴしてみた!編です。
旧西ドイツの首都
第一の目的地はここ、ボン。
ボンと言えば、東西冷戦時代にベルリンがソ連側・東ドイツ区域となってしまったため急遽建設された西ドイツの首都であった都市。
かつて紀元前にかの有名なユリウス・カエサルのガリア遠征でここに要塞が築かれてからと言うもの、その歴史は2000年以上。
ちなみに2007年まで5000円札に載っていた(らしい:私は2003年生まれなので記憶にはない)『武士道』の著者・新渡戸稲造がドイツに留学していた時代、ここのボン大学でも学んだそう。
小さな町ですが、はるか昔のローマ時代に起源をもち、ある偉大な音楽家がここで生まれ、一時は一国の首都を担ったボンという町を、今回は歩いてみます。
ベートーヴェン記念碑
そう、ここは『英雄』『運命』そして第九などの交響曲等で知られる作曲家、ベートーヴェンが生まれた町。
中心部の広場には銅像が立っていました。
そこまで音楽史に詳しくない私でも知っているほどの有名人の生まれの地を踏んでいることにドキドキ・・・
ちなみに彼の数々のピアノソナタの中でも私はダントツで『悲愴』が好きです。
ベートーヴェンが生まれた家
さらに街中を進んでいくと、ベートーヴェンが生まれた家も残されていました。
現在は博物館・音楽ホールとしてベートーヴェンの歴史を現代の人々に伝える役割を果たしています。
この建物は華麗さが特徴的なバロック様式で建てられていて、中にはベートーヴェンが生まれた部屋も残されています。
先日投稿したザルツブルクでのモーツァルトもそうですが、西洋が中世の音楽文化の中心として栄えたこの世界に生きる者にとっては、そのトップを走り抜けた数々の名音楽家が生まれた場所を巡ることができるのはヨーロッパの面白さの一つだなあと思います。
逆に日本は割と閉鎖的な文化の栄え方をしてきたので、全国各地に味がありそれはそれで楽しみ甲斐があって好きですが…
ミュンスター教会
先ほどの銅像がある広場の隣にあるのが、ボンのミュンスター教会。
キリスト教殉職者の墓の上に建てられた教会だそう。
(外観の写真を撮らないという致命的なミス)
ここの面白さは、ゴシック様式とロマネスク様式が混合されているというところにあります。
聞くところによると、アルプスより北の地域で唯一良好な状態で保存されているロマネスク様式の教会だそう。
ここで一つ、ヨーロッパの教会を巡りまくっている私からロマネスクとゴシックの簡単な見分け方を。
ロマネスク建築
・半円形のアーチ
・窓が極端に小さい ←建物の強度を高めるため
・壁が分厚い ←〃
ゴシック建築
・尖ったアーチ(これによって重さを逃がすことができる)
・窓が縦に長い ←元々強度が高い構造なので壁の強度を必要としない
・建物自体が高い ←〃
以上を踏まえてこの教会を見渡してみると、上手~くロマネスクとゴシックが合わさっているのが見て取れて面白いです。
(サイドの壁がロマネスク、天井やステンドグラス部分はゴシック)
そしてこの教会には地下室があり、外からの光をステンドグラスが彩って見事な模様が浮かび上がる様子を見ることができました。
巨大墓地
ボンでは最後の目的地へ。
やってきたのはとある墓地。
なんでもここは、ベートーヴェンが生まれた町であると同時に有名音楽家夫妻ロベルト・シューマン、クララ・シューマンが亡くなった町。
さらに、ベートーヴェンのお母さんのお墓や、ゲーテと同時代に活躍した作家シラーの妻のお墓もここに。
なんとなくお墓の写真を撮るのは憚られたので、お墓一覧の地図があったのを載せておきます。
代わりに長閑な公園の風景でも・・・
さて、ボンを出て次なる都市へ向かいます。
南に上り、コブレンツへ
さっきまでいたのは、↓の地図でケルンのすぐ近くにあるボン。
ここから南へ、今から向かうのはコブレンツと言う町。
スイスのアルプスからドイツを通り北海まで続く、ドイツ経済発展の立役者となった主要河川ライン川を電車で南に上っていきます。
コブレンツ到着です。
晴れてきた!
コブレンツに着くと、先ほどまでびみょ~に空を覆っていた雲もどこかへ行き、綺麗に晴れてきました。
この気持ち悪いパチモンミッキー、こっちに来てから結構な頻度でお見かけするんですけど、大体人が群がって一緒に写真撮っていて面白いです。
ほうじ茶シフォンケーキみたいな教会発見。
石畳の道の先にはまた別の教会も。
さてクイズです。
ここからの画角から見る限り、これは何様式の教会でしょう?
尖った塔、尖ったアーチ、ステンドグラス、
これは外から見てもわかる、ゴシック様式ですね。
父なるライン、母なるモーゼルの結節点
コブレンツで一度来てみたかったのが「ドイチェス・エック」。
和訳すると「ドイツの角」と言う意味です。
世界には慈愛や生命の意味を込めて「母なる大地」「母なる地球」という言葉がありますが、ドイツには流域の大半を自国が占める巨大河川に対し畏敬と愛着を込めた「父なるライン」という言葉が存在します。
そしてヨーロッパにおいてアルプスから北海へ流れる「父なるライン」に対応するのは、ドイツから始まりオーストリア、ハンガリー、そして東欧諸国をめぐって黒海へ流れ出る「母なるドナウ」とされていますが、
ここコブレンツにおいてはライン川の支流であるモーゼル川「母なるモーゼル」とされ、その結節点こそが「ドイチェス・エック」と呼ばれているのです。
このドイチェス・エックを見下ろしているのが、鉄血宰相ビスマルクとタッグを組んで軍国主義を敷き、最強のプロイセン王国を築き上げた皇帝ヴィルヘルム一世。
これが主役の「ドイチェス・エック」
ドイツ国旗がはためいています。
先端に立ってみました。
この先をず~っと行くと北海、さらには大西洋へ続いています。
要塞から見下ろす“角”
さて、天気もいいし要塞に上ってドイチェス・エックを見下ろしてみるかあ、とケーブルカーに乗りました。
ザ・観光客っぽかったのか、カウンターのお兄さんは私がドイツ語を話せるとわかるとすごくうれしそうに、太陽みたいな笑顔で「行ってらっしゃい!」と送り出してくれました笑
凄い景色です。
ここから見て右側の大きく畝っているのが、支流・モーゼル川。
左側から真っすぐ流れ込んでくるのが、主流・ライン川です。
要塞に到着。
ここ、実は、ヨーロッパで二番目に大きな要塞、「エーレンブライトシュタイン要塞」(最大は同じくドイツにあるケーニヒシュタイン)
人の大きさと比べてもいかに壮大なものかがわかります。
そして、iphoneの写真ではとても伝えられない規模感なのですが、ドイチェス・エックを見渡せる場所を目指せど目指せど、内部が迷路のように入り組んでいて上下左右前後どこに進めばいいのかわからず迷う時間を過ごし・・・
やっとたどり着いた先には絶景が。
さきほど上ってきたケーブルカーと、雄大なライン川、さらに奥にはボン、ケルン、デュッセルドルフと続くであろう北西ドイツの風景。
肝心のドイチェス・エックがこちら。
よーく見ると、ヴィルヘルム一世の騎馬像がどれほど規格外の大きさなのかわかります。
要塞のすぐ下にはこのように線路が走っており、ちょっと怖かったけどすごくきれいな景色でした。
そして多分アジア人だからかな?写真を頼まれて取ってあげたりしていたらすっかり帰る時間に。
また迷路みたいな要塞を、今度は迷わないよう慎重に潜り抜けて帰路につきました。
要塞と言うよりはもはや山。
今回のボン・コブレンツ旅はここまで。
北ドイツに来ると毎回思うのですが、かつてバイエルン王国が支配した、私の住む南ドイツとは、町の感じも城の感じも全然違って面白いです。
ドイツの主要町を制覇するの目標にはまだほど遠いですが、少しずつ「ドイツ周遊記」更新していきます
それではまた!