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認知症介護〜「頼る」を始めたきっかけ

2012年頃、認知症についてはほとんど情報が得られず、
そのような状況のあの頃に私が変わったきっかけは、
「環境を変える」
でした。

そこから今までのつながり方から新たなつながり方、
そして新しい人とのつながりができていきました。

頼らない理由

祖母の認知症の症状が出始めてからおよそ8ヶ月、
最初の認知症診断から3ヶ月くらい経過した頃からの話。

頼り方を知らない

当時は認知症という言葉は今ほど知られておらず、
調べてもよくわからない。
ただ目の前にいる祖母の変化が現実で、
色々なことが突然に起こるのが現実。

ついていけないがなんとかしなくてはならない、
待ってる時間はなく、
何か起きたら都度対応せねば、
答えもない、知らない、情報もない、わからない。
「今」を精一杯。
そんな日常でした。

周りの人からは、
「見た目、何も変わっていない。」
「受け答えもちゃんとしている。」
「話もしっかりできている。」
「元気そう」
とよく言われました。

"見た目変わらず"これが厄介なことでした。
見た目が変わらなければまわりは今まで通り、いつも通りに接してしまう。
包帯を巻いているわけでも、車椅子なわけでもない、
見た目大ごとではないのだから…
しかし私にはぼーっとぽやーっとしているように見える。

認知症について知らない私が言えることと言ったら、
「それでも忘れてしまうんです。」
「理解できず、覚えることも難しいんです。」
「人前では張り切り頑張るんです。」
など、今までの症状などをとりあえず言ってみる。

必ず「何だか大変そう」と返ってくる…
私の心の中では、
「大変さがわかるはずがない」
「 理解されるわけがない」
「誰にも絶対わからない」
と心を閉ざしかける。

だって、私自身が認知症のことを理解できないのだから、
だからこそ頼り方も知らない、わからないのだから。

怖さ

私には看護師の友人がおり、
友人も「ばあちゃんどう?」とよく気にかけてくれていました。
「できることがあったら言ってね」の友人の言葉にも「大丈夫」と私。

しかし、友人がよく声をかけてくれて、
私だけじゃなく祖母にも会いに来てくれるおかげで、
その友人が勤める病院で、
祖母の持病の心臓と、認知症のことを診てもらえるかを院長に聞いてくれて転院することとなりました。

この時、最初の診断から3ヵ月くらいで、2回目の診断となります。
要支援1とやらから要介護1。
そう言われても…どうする?
その病院は介護について相談できる窓口もありましたが、
その時まだ私は相談をしようとしませんでした。
窓口があったところでどうやって何をどう相談するの?
書類などをもらっても、目の前の祖母に精一杯で考える余地はありません。

いえ、言い訳だった。
生真面目で、プライドが高く、
シングルマザーの私はただでさえ気を張って、強くあろうと生きていたので、
祖母のことで「私しかいないのだから」と、
視野を狭くしていき、頼らないことでなんとか自分が崩れないよう保っていた。

頼ることで自分がどうにかなってしまうんじゃないか、
崩れてしまう怖さがありました。
これ以上の変化を恐れるところもありました。

一歩

誰にも理解されない、わからないといったことから、
さらに祖母優先になっていき、視野が狭くなり、
祖母の人生と私の人生を同じに生きようとしていました。

ですが、友人が気にかけ声をかけ続けてくれること、
私の知らなかった祖母の知人や関係する人との出会い、
私にも私の人生があるということを少しずつですが気がついていくのです。

転院

私の一歩は友人のおかげもあり、転院したことでした。

そう行動しようと思った真意はきっと、
私自身が「助けて」と言っていたのだと思います。
身内からの裏切りなどから限界でもありました。
変化を恐れながらも、少しでも環境が変われば何か変わるかも知れない。
そんな期待もあったかも知れません。

「この子がいないと生きていけないんです。」

しかし、祖母は良くも悪くも、
「もう私、孫に頼りっぱなしで、この子がいないと生きていけないんです」
と、品のいい笑顔でみんなにそう言うんです。

私のような性格…禁句ですね。危ないです。
これがさらに私の生真面目さ責任感をアップさせてしまいます。

「私がなんとかしなきゃ」

身内からの騙しなどで心身疲れてしまった祖母の認知症は悪化、
「怖い、関わりたくない」そんな祖母を守りたくて、
もっと穏やかに暮らして欲しいと、いっしょに暮らせるよう引っ越しすることを決めました。

引越しの話をしても「私も連れて行って」と言う祖母。
いっしょ暮らすための引越しですが、祖母は理解が追いつかないのか少し不安そうです。
しかし、そう言う祖母の言葉が先へ進む励みでもありました。
「私でいいんだ」

認知症の症状が出始めてから1年、最初の診断から8ヶ月新しい生活の始まりです。

環境の変化

この頃に↓この記事の
「認知症介護〜「人は旅立つ時は旅立つ、あなたはあなたの人生を生きていい」
言葉をいただき、関係する人とのつながり方も変化していきました。
やはり祖母と暮らし始めるといったことが、まわりの人の見方を変えたのかも知れません。

沢山の人に支えられ、助けてもらった引っ越し。 
驚きました「私ひとりじゃなかった」

引っ越しをし、ケアマネージャーという人からプランというものを説明してもらい、
何が正しく正解かもわからないままデイサービスが始まりました。

新しい環境でさらに認知症が悪化しないか、不安もありましたが、
ケアマネージャーさんが私の気持ちに寄り添ってくれます。

認知症の"忘れる"ということから、
認知症になる以前の望みであった
「老後、デイサービスや施設へは行きたくない」と言っていた祖母ですが、
デイサービスでのイベントや人とのおしゃべりなどが"楽しい"と感じることができ、
家の中でニコニコしていることが増え、自分から動こうとすることも増えました。

しかし、その"楽しい"がちょっと問題行動に。
デイサービスじゃない日に迎えが来るからと 出かけようとするんです。
待たせては失礼だから外で待ってようとか、
玄関を行ったり来たり、
しかも朝晩関係なく、ソワソワゴソゴソこれにはさすがに参りましたが、
本人の"楽しみ"になっているのだと、 私自身が救われることでもありました。

無理に行かせているのではないか、
本当は行きたくないんじゃないか、
など、
また私が面倒を見ないことに罪悪感があります。

それでも楽しく過ごして帰宅する祖母の様子にホッとするのです。

いっしょに暮らさなくていい

環境の変化は、たまたま私たちはいっしょに引っ越しをして暮らすことになりましたが、
他に変化は色々あると思います。

病院を変えることもありますが、
いつもの道を変えてみるだけでも、
違った景色、違った空気を味わえると思います。

何も大きな変化をしなくてもいい。
口紅を変えるように、
購入するお店を変えるように、
あなたの気持ちにちょっとした"新しい感覚"が起こることが大事なことだと思います。

そうやって小さな変化から、
出会う人、人とのつながりにも変化が起こります。

大丈夫、
あなたはひとりじゃない。

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